この日記は「倫社の帝王」の項目に入れてます。
倫理・社会という観点から物事を見るとどうしても宗教の話にならざるをえなくて、それはまだまだ途中なんですね。
世界の宗教と日本の宗教観の違いの話をして、それから、日本人が無意識に持ってる「たたり」とか「けがれ」意識の話もしなくちゃいけないし、いろいろ明確にしとかないといけないことは数多い。
でも、それより先に、ちょっと「勉強の方法」ということに関して書いておいた方がいいかなぁという気もしてます。
僕の場合は「倫社」というものが、それこそ何の抵抗もなくアタマに入ってきた人なわけです。それこそ高校のクラス40人中で飛抜けて倫社の成績だけは良かった。(自慢じゃなくて単なる事実。なんせ化学は劣等生だったし。)
得意科目というものは、「勉強の方法」が不要なんですね。自然と身に付く。勝手にアタマに入る。
でも問題は不得手な項目をどうするか、なんですね。
倫社なんて僕は得意だけど、他の人は得意じゃないのだから、学習の方法とか、そういうことを書いておかないと意味ないなと、ふと気づいたわけです。
得意な科目のことをいくら書いても、それって向き不向きの話だから、世の中の役に立たないですしね。
世の中は実際には不得手な事柄ばかりが押し寄せてくる。それでもなんとかするしかない。そういう時に、いったいどうやって対処したらいいのか、なわけです。その方が大切だなと。
で、そういう時のために書物というのは大きな効果を発揮します。何か自分で対応しなくてはいけなくて、学習する必要がある時、どうやって対応するか、を教えてくれるのが書物なんです。
不得手項目にもパパパっと対応できる方法があるなら、それを獲得しておくのが得策です。そのために書物は役に立つし、その時に、「効率的な勉強の方法」というのはあるのでありまして、だから、そういう話をしようと思い立ったわけです。
僕の場合、不得手項目の学習には、「田中角栄の勉強方法」が、とても役に立つと思ってます。
それはどういう方法かというと、「関連項目の書物を一貫目ほども買ってくる」というやり方です。
これは昨年お亡くなりになった田中角栄の元秘書である早坂茂三さんがエッセイで書いておられたことなんですが、田中角栄という人は、とにかく実に良く勉強する人だったそうで、官僚が舌をまくほど、何事につけ良く知っていたし、問題の解決法まで見据えた法案作成まで自分ひとりでできてしまう人だったそうなんですが、その勉強の仕方が上記の一言なわけです。
とにかく本を「一貫目ほとも買ってこい」なんです。
たとえば政治家連中とゴルフをせねばならなくなった時でも、秘書の早坂さんに「一貫目ほとも買ってこい」とゴルフの入門書やら何やらを買いに行かせる。まぁ大きな書店のゴルフ関連本の棚の一段分くらいは買ってくるわけです。
これを田中角栄は入門書から順に一気に読んでいくそうです。で、どうなるかというと、これでゴルフが一気にうまくなったりするわけです。
書物なんて机上の論理だからいくら本だけ読んでも役に立つまいと思ってる人は大間違いなんですね。まず、一気にその世界の大枠、概略を知ってしまう。これほどムダのない「指針」はないわけですよ。そうなれば、あとの練習がすべて目的にかなう。ムダがない。
ま、そういうことなんでしょう。
だから勉強するなら、「これだ」という特定のジャンルを決めて、一気に一貫目、そこまでできなくても、まぁ10冊くらいの書籍を、バババババーと読んでしまうのが一番効率的です。
これはねぇ、ほんとうに良い勉強法なんですね。なんせ同じテーマで本を読んだら、同じことが繰り返し「薄く」「深く」「角度を変えて」何度でも出てくる。これだけで復習の効果があるし、複数の見方から身につけることで、自分なりの見方というものも立てやすくなります。
また業界やら、そのテーマでの常識とか大きな流れみたいなものも一気にわかってしまう。
本当に賢い勉強方法だなぁと思います。
で、ここで僕は「田中角栄の勉強法」と名付けましたけど、僕はこの勉強の仕方は早坂茂三さんの書籍を読むより先に立花隆氏の書いた本などで知ってたわけです。
立花隆氏も同じやり方をしている。まずテーマを決めたら、書店でそのジャンルの本棚の前に立ち、入門書から高度そうな内容のものまで、一気に10冊くらいを選び出して、それを買うというところから話を始めてるんですね。
これが実に印象的だったんです。
というか、田中角栄と立花隆ですよ。この因縁のふたり。田中角栄を「総理の犯罪」という形で追い込んでいったジャーナリストと、不世出の庶民宰相、世紀の天才政治家が同じ勉強法で知識を身につけていたというところまで因縁というか、なんというか。
まぁ、それだけ汎用性のある勉強法だと見るのが一番賢いんでしょうけどね。
そんなことで、僕は勉強するなら、特定テーマに関しては一気に数冊から十冊くらいは、とにかく一気に読むようにしてます。
専門用語にしてもすぐに頭に入るし、その概念の「使える範囲」がどの程度なのかとか実例などもよく見えてくる。
一冊一冊をていねいに読まなくても、それぞれが相互補完関係になるから、「読んでるうちにわかるようになる」という効果も出てきます。
また、すでに入門書で読んで知っている内容なら、それこそサササっと飛ばし読みできるから、小難しい本でも余分なところを読まずに済ませるなんてこともできるわけです。
総合的に見て、実に効率的な知識の習得が可能になる。
勉強するなら、まずこれだよなーとつくづく思っておるのです。
勉強なんて大変だ、やっかいだと思っている方には、ともかくこの方法をお勧めしたいです。
実に効果的。
ま、そんな話でした。
倫理・社会という観点から物事を見るとどうしても宗教の話にならざるをえなくて、それはまだまだ途中なんですね。
世界の宗教と日本の宗教観の違いの話をして、それから、日本人が無意識に持ってる「たたり」とか「けがれ」意識の話もしなくちゃいけないし、いろいろ明確にしとかないといけないことは数多い。
でも、それより先に、ちょっと「勉強の方法」ということに関して書いておいた方がいいかなぁという気もしてます。
僕の場合は「倫社」というものが、それこそ何の抵抗もなくアタマに入ってきた人なわけです。それこそ高校のクラス40人中で飛抜けて倫社の成績だけは良かった。(自慢じゃなくて単なる事実。なんせ化学は劣等生だったし。)
得意科目というものは、「勉強の方法」が不要なんですね。自然と身に付く。勝手にアタマに入る。
でも問題は不得手な項目をどうするか、なんですね。
倫社なんて僕は得意だけど、他の人は得意じゃないのだから、学習の方法とか、そういうことを書いておかないと意味ないなと、ふと気づいたわけです。
得意な科目のことをいくら書いても、それって向き不向きの話だから、世の中の役に立たないですしね。
世の中は実際には不得手な事柄ばかりが押し寄せてくる。それでもなんとかするしかない。そういう時に、いったいどうやって対処したらいいのか、なわけです。その方が大切だなと。
で、そういう時のために書物というのは大きな効果を発揮します。何か自分で対応しなくてはいけなくて、学習する必要がある時、どうやって対応するか、を教えてくれるのが書物なんです。
不得手項目にもパパパっと対応できる方法があるなら、それを獲得しておくのが得策です。そのために書物は役に立つし、その時に、「効率的な勉強の方法」というのはあるのでありまして、だから、そういう話をしようと思い立ったわけです。
僕の場合、不得手項目の学習には、「田中角栄の勉強方法」が、とても役に立つと思ってます。
それはどういう方法かというと、「関連項目の書物を一貫目ほども買ってくる」というやり方です。
これは昨年お亡くなりになった田中角栄の元秘書である早坂茂三さんがエッセイで書いておられたことなんですが、田中角栄という人は、とにかく実に良く勉強する人だったそうで、官僚が舌をまくほど、何事につけ良く知っていたし、問題の解決法まで見据えた法案作成まで自分ひとりでできてしまう人だったそうなんですが、その勉強の仕方が上記の一言なわけです。
とにかく本を「一貫目ほとも買ってこい」なんです。
たとえば政治家連中とゴルフをせねばならなくなった時でも、秘書の早坂さんに「一貫目ほとも買ってこい」とゴルフの入門書やら何やらを買いに行かせる。まぁ大きな書店のゴルフ関連本の棚の一段分くらいは買ってくるわけです。
これを田中角栄は入門書から順に一気に読んでいくそうです。で、どうなるかというと、これでゴルフが一気にうまくなったりするわけです。
書物なんて机上の論理だからいくら本だけ読んでも役に立つまいと思ってる人は大間違いなんですね。まず、一気にその世界の大枠、概略を知ってしまう。これほどムダのない「指針」はないわけですよ。そうなれば、あとの練習がすべて目的にかなう。ムダがない。
ま、そういうことなんでしょう。
だから勉強するなら、「これだ」という特定のジャンルを決めて、一気に一貫目、そこまでできなくても、まぁ10冊くらいの書籍を、バババババーと読んでしまうのが一番効率的です。
これはねぇ、ほんとうに良い勉強法なんですね。なんせ同じテーマで本を読んだら、同じことが繰り返し「薄く」「深く」「角度を変えて」何度でも出てくる。これだけで復習の効果があるし、複数の見方から身につけることで、自分なりの見方というものも立てやすくなります。
また業界やら、そのテーマでの常識とか大きな流れみたいなものも一気にわかってしまう。
本当に賢い勉強方法だなぁと思います。
で、ここで僕は「田中角栄の勉強法」と名付けましたけど、僕はこの勉強の仕方は早坂茂三さんの書籍を読むより先に立花隆氏の書いた本などで知ってたわけです。
立花隆氏も同じやり方をしている。まずテーマを決めたら、書店でそのジャンルの本棚の前に立ち、入門書から高度そうな内容のものまで、一気に10冊くらいを選び出して、それを買うというところから話を始めてるんですね。
これが実に印象的だったんです。
というか、田中角栄と立花隆ですよ。この因縁のふたり。田中角栄を「総理の犯罪」という形で追い込んでいったジャーナリストと、不世出の庶民宰相、世紀の天才政治家が同じ勉強法で知識を身につけていたというところまで因縁というか、なんというか。
まぁ、それだけ汎用性のある勉強法だと見るのが一番賢いんでしょうけどね。
そんなことで、僕は勉強するなら、特定テーマに関しては一気に数冊から十冊くらいは、とにかく一気に読むようにしてます。
専門用語にしてもすぐに頭に入るし、その概念の「使える範囲」がどの程度なのかとか実例などもよく見えてくる。
一冊一冊をていねいに読まなくても、それぞれが相互補完関係になるから、「読んでるうちにわかるようになる」という効果も出てきます。
また、すでに入門書で読んで知っている内容なら、それこそサササっと飛ばし読みできるから、小難しい本でも余分なところを読まずに済ませるなんてこともできるわけです。
総合的に見て、実に効率的な知識の習得が可能になる。
勉強するなら、まずこれだよなーとつくづく思っておるのです。
勉強なんて大変だ、やっかいだと思っている方には、ともかくこの方法をお勧めしたいです。
実に効果的。
ま、そんな話でした。
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