シゲさん
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財布を落としました。
えー、財布を落としまして。
それも、仕事の仲間内、12人で大挙して秋の旅行に出かけた帰り。「ああ、楽しかったねぇ。」と、帰りの新幹線の中でコーヒーでも飲もうかと思った時に無いことに気付いたというタイミングでして、楽しかった旅行気分が一気に吹っ飛んでしまいました。
まぁ、一週間、キャッシュカードやクレジットカードの停止やら再発行の手続きやら、いろいろ大変だったんですが、実は結局は出てきたのであります。
いままで何度か財布は落とすわ、財布を入れていたポーチをなくすわ、携帯電話を落とすわ、いろいろなポカミスをしてるんですが、どういうわけか、そのままなくなってしまった事がほとんどないんですね。ありがたいことに。運が良いとしか言いようがないです。
しかし、思うに、「落としても戻ってくる」と思ってると戻ってきて、「落としても戻ってこない」と思ってると戻ってこない、というのがあるんじゃないかなぁと、今回は思いましたね。
というのは、いつも「財布は落としたら戻ってこない」と思っていると、財布に最低限のものしか入れないわけですよ。大事なものは別に分けて置いておいたりする。
でも、「落としても戻ってくる」と思ってると、財布になんでも入れちゃうわけです。実際今回も、ある企業さんへの入館証に電話番号が書いてあったので戻ってきたわけです。
でも、これが、「落としたら戻ってこないかもしれないから」と、現金は数千円しか入れてない、キャッシュカードも入ってないとかになると、誰の財布かもわからないから、拾い主も届ける事ができないわけで、「財布が戻ってこない」ということになるわけです。
だから、あんまり悲観的に考えて日々を行動するのはよろしくないなぁと思ったわけです。
意外にね、というか、日本は、かなり治安もいいし、人のものを盗んだりする人は少ないんですよ。たぶん。
で、落としたのに気付いたのが帰りの電車の中で、仕事の仲間内がみなさんいたので、いろいろ声をかけてくれたりしたわけですが、いやー、みんなそれぞれに対処が違いますねぇ。そこが面白かった。
まず、「落としたら、まずカード類の停止を真っ先に」と考える人もいてるし、ルートの徹底チェックを追求する人もいてるわけです。
それから面白かったのがカメラマンさんのノウハウで、「僕は財布に入れてるものは固定してるので、中身を全部写真に撮ってるんですよ。」というのがありました。落としてしまったら、何が入ってたかがわからない訳ですよ。どのカードを止めたらいいのかがわからない。
またある人は、一度落とした経験があるそうで、落とした時に連絡するべき電話番号等を全部キチンと自宅に置いてあるという人もいてたんですね。
いやー、みなさん苦労されてる。
僕は今回の経験から思ったのは、名前と携帯番号の入った名刺を、一枚だけは財布に入れておくべきだなぁということでした。たまたま入館証に事務所の電話番号を書いてあったから良かったものの、そうでなかったら、戻ってこなかった可能性もあったと思うんですよね。
というのは、今回、実は新幹線の新岩国からこだまに乗って、広島で乗り換え、のぞみで新大阪まで帰ってきたんですが、落としたのはこだまの中だったんですね。僕は新岩国の改札に入る前に落としたのだろうと思ってたのですが、それでもとにかく、のぞみの車掌さんと新大阪の遺失物係の人には問い合わせて、万全を期してたつもりだったんです。
でも、こだまで落としてたら、のぞみの車掌さんはこだまの事までは調べないし、こだまは岡山どまりでしたから、新大阪まで財布が行くことはなかったわけです。完全にルート・可能性をひとつ見落としてたんですね。
こういうルートの見落としをしてたら、見当違いのところしか探してないわけだから、永遠に出てこないって事にもなるわけですから、やっぱり財布に連絡先を入れておくべきなんですよ。それがいちばんだって事になる。
もちろん、いろいろ個人情報をさらしてしまう危険もあることはありますが、まぁそこはあまり心配してもしょうがないですわね。それより財布が戻ってくるようにしておく方が賢いと思います。
ちゅうことで、財布を紛失する前にしておくべきノウハウとして、
●携帯番号などの書かれた名刺を必ず一枚、目立つところに入れておく。
●どんなカード類をいれているのか、写真で撮影しておく。
●カード類の停止番号等の連絡先を財布以外の携帯電話やメモ等に入れておく
というのが大事で、紛失してしまったら、
●まずルートの徹底追求、徹底チェックをする。(意外にモレあり。)
●ルートの徹底追求・チェックをして、どうしても見つからないとはっきりしたら、カード類の停止を。
(カード類は落とした日時にさかのぼって停止してくれるので、あまり急いで止めなくても大丈夫です。)
ということではないでしょうか。
特に、「自分の名刺を一枚、目立つところにいれておく」というのは重要な気がします。キャッシュカード等を見れば「この人が本人なのだな」とわかりますし。親切な人なら、すぐに連絡してくれるはずで、落として5分、こっちが落としたことを気付いてない時に電話をもらえるかもしれません。
あとは、もし、拾ってくれた人がまったくの個人だったら、連絡先をキチンと聞いてお礼しなきゃいけませんが、気が動転してると、つい忘れてしまうかもなので、そこは注意したいですなぁ。
ま、そんなことで。
読書のスピードコントロールということ。
最近、タイトルのとおり、「読書のスピードコントロール」というのが、えらく気になってきております。
というのは、長年小説は読まずにいて、ビジネス本とか、そういう「実用書」ばっかり読んできてたのに、ここのところ小説も読むようになってきたからなんですね。
小説は、夜寝る前の楽しみということで、枕元に置いてあるんですが、「読めたら読む」くらいの軽い気持ちでやりはじめたんですよ。
で、まぁ実用書じゃないんだし、ゆっくり読めばいいやと思って、たとえば全5章あるような小説なら、「今日は1章だけ」とか決めて読んでたわけです。ゆーっくり進むつもりで。
でも、こういう事をしてると、「はやく続きが読みたい!」ってなってくるんですよね。で、帰って寝る前に小説を読むのが楽しみになってくる。なんちゅうか、朝の連続テレビ小説とか毎日続くドラマがあるじゃないですか? ああいう感じになってくる。
で、そのくせ、昼間に電車の中で読む本とかの方は、今まで通りにビジネス本のたぐいだったりするわけですよ。いくら小説の続きが読みたくても、持って出なけりゃ読めないわけです。
で、寝る前のゆったり読書をやってると、今度はビジネス本の読み方がちょっと変わってきたんですね。
「こういう本は小説やないんやし、役に立てたいところだけを、どうチョイスするかやで。」という気持ちになりまして。で、ある日、電車の中で、「とにかく1頁10秒くらいのつもりで、ざーっと流し読みしてみよう。」と思ったわけです。
1頁10秒以下となると、1冊20~30分くらいで、いちおう全ページに目を通せるわけですが、そうなると、電車に乗ってる時間内で一冊に目を通せるということになるわけです。「ああ、時間的にもちょうどいいや。」と思ってやってみたら、まぁだいたい電車に乗ってる間で一冊目を通すだけはできたんですよ。
で、その全体に目を通した本を、今度は頭から順に読み直したんですけど、ここでびっくり現象が起きたんですねぇ。
というのは、読み直してみると、「あれ?、ここはもう読んだよ。」というところばっかりになってるんです。ざっくり20~30分で読んだのと、数時間かけて読んだ内容と、実質そんなに違わないんですね。多少言い回しのくどいところを、キチンと読んだかどうかの違いがある程度なわけです。
いやー、これにはびっくりした。
どうも、30分くらいで、とにかく流し読みしたところで、「得られるネタ」に関してはじっくり数時間かけて読むのと変わらんやんけ!ということなんですわ。
で、どうも、この流し読みがうまく行ったのは、夜の「楽しみ読書」をはじめたからこそ、という気がするんですね。読む楽しみとかモチベーションとかが一定の高さで保たれているから、ビジネス書を読むときに「ちょっとスピードをあげようか」というのがスッとできるんじゃないかなぁ?
なんかそんな気がします。
もちろん内容にもよりますが、読む目的さえ明確で、「読む楽しみ感覚」が維持できてれば、意外に速読って難しいものではないのかも?という気がしてきました。
逆に、じっくりゆっくり、味わいながら、楽しみながら読む本を、うまく生活時間に取り入れた方が、たくさんの本を上手に読みこなせるのかもしれないなぁと思えてきたのであります。
いやまぁ、まだそれほど、うまくコントロールできてるわけではないんですがね。
ま、そんなことで。
「人買いがイヤだから近代化したのに派遣切りとはどういうことだ。」と思うなら、消費税の撤廃も検討しよう。
写真1を見るたまたま水木しげるの伝記的なマンガである
「のんのんばぁとオレ」
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4062603330を読む機会があって、つらつらと世界にはまって楽しんでたのですが、昔は人買いというのが普通にいて、子どもが人買いに売られたりしてたんだよなぁって改めて思った。
水木しげるが子どもの頃に体験したことがベースになってるわけだから、まぁかなり切実な話だったんやろなぁと。実際に見たことがないので良くわからんのやけど。
でも、考えてみたら、テレビ放送と同時に生まれたような年代の僕が子どもの頃ですら、祖父が「あんまり遅くまで遊んでたらコトリがくるぞ。」と言ってたわけだから、僕が生まれる前あたりまで、普通に人買いはいたんやなぁと改めて実感したわけです。
ここでいう「コトリ」というのは、もちろん「小鳥」ではなくて「子取り」または「子盗り」なわけですが、子どもの私は「なんで小鳥が来たら怖いんやろか?」というのがあって、やたらと印象に残ってた言葉なんですね。
女衒とか、子どもを売るとか、人身売買っていうのが昔は普通にあって、で、そのせいで友達を失って悲しい思いをした話っていうのが文学なんかでは普通にあって。
いや女郎屋に女の子が売られるなんてのは、あまりにポピュラーな話題だったわけでしょう。
それが悲しくて、イヤだったから、ミンシュシュギとか、キンダイカというような訳の分らん洋物の仕組みと契約して、「友達をなくしてしまうような悲しい事」のない社会を手に入れようと、我々日本人は思ったわけでしょう。
なのに、いつのまにか、「派遣切り」とか、普通になってしまって、コトリがくるぞとおどして子どもをしつけたり、あるいは「●●したら、××がくるぞ」と、子どもに生活習慣を身につけさせようと自衛していた「生活の知恵」まで失ってしまって、これなら妖怪やらキツネや狸に化かされてた世の中の方がよっぽどましやったやんか、てなところまでおかしくなってしまった。
なんで、そういう生活の知恵まで捨ててキンダイカと手を結んだのやら、ということですわなぁ。
結局、最近の、やたら低賃金で虐げられてる人たちが出てきている事に対する、我々日本人の実感としては、
「人買いがイヤだから近代化したのに派遣切りとはどういうことだ。」
という理不尽さが根っこにあるんやわなぁって思う。
理不尽でしょ、それは。
理屈はわからんけど、実感としてイヤやなぁ、ということだと思う。
大衆がイヤやなぁと思うことは、やっぱりかなり間違ってるって事ですわ。
これが万博より後に生まれたような世代だと、祖父母と暮らすことも少なくなって、コトリや妖怪を生活の知恵で警戒するアタマも持っていない子どもばっかりになって、ハケンギリという新種の妖怪にパクっと食われてしもうたという、そういう事なんやろなぁ。
そんなことを思いました。
とは言うものの、この間読んだ本では、「格差社会というのはウソだ。日本の格差はそれほどひどくはない。派遣が悲惨なのは、格差が悪いのではなく、経済成長率が下がって、民間所得総額が下がり、そのしわ寄せが派遣に押しつけられてるから問題なのだ」ということが書いてあって、ポンと膝を打ったのですよ。
結局、ショーヒゼーという鵜飼いの鵜につけられたヒモみたいなものを武器とする、「自分の食い扶持すら稼がず、まっとうに働く人に寄生するタイプ」のカンリョーという超大型妖怪が日本に跋扈したから、このおかしなキンダイカという西洋妖怪に我々はからめとられてしまったわけですわ。
友達をなくしたくない日本人は、やっぱり人買いやら女衒やらは、すごく嫌いで、だからキンダイカと手を結んで労働基本法をつくったし、なんだかんだ言っても「友愛」とか言う、ものすごくあやふやなキーワードの方がやっぱり好きで、だから鳩山くんを応援してるのに、なのにまだショーヒゼーという鵜飼いのヒモが不況の原因なのだと日本の代表が気付いていないとう、そういう構造だなぁと、思ってるのです。
民間所得総額を上げるためには、やっぱり正しい公共投資が必要やと思うなぁ。
で、そのためには、たとえば、高速道路の無料化は、いくら道路が混んでもかまわんから強行して、で、その代わりにパーキングエリアを山のように増設したり、駐車場を山盛り作ったり、高速道路の途中のパーキングエリアにクルマの預かり所を作って、ヘリポートで近くの駅まで送ってくれるサービス(クルマは代行運転で別便で空いてる時に届けてくれる)や、クルマ用リフトを作って下におろしたり上にあげたりして一般道につなぐような仕組みとかも作って、実質的に大量にクルマを流通させられる仕組みを導入すればいいのだ。
これらのサービスの料金は個別に取って、それに高い税金をかけて、道路整備の財源にしたらいいのだ。
ちゅうか、高速道路が不便になったら、そこにこそ「ニーズ」が生まれるんやから、すごいことですがな。市場ができるんやで?いくらでも稼げるやん。そうしたら成長率も上がるやん。
どっちかというと、そういう事が大事やと思うんやけど。
でも、みんな便利な方がええし、ちょっと高速料金払ってでも、空いてる道路を走りたいんやろなぁ。
なんかシリメツレツになってきたので、ここいらでやめます。
が。
鳩山くん、ショーヒゼーは据え置きとか言わずに撤廃するか、3%に戻そう。
それが外需ではなく、GDPの55%を占める膨大なる個人消費によってまかなわれている日本経済の内需を刺激して、経済発展にもっとも寄与する手法ですぜ。やっぱり。
GDPが増えたら、税収も増える。ショーヒゼーより、税収の自然増収の方がよろしい。
この「自然増収」を目指す事こそが、本来の官僚の役割やと、わかりきったことやのに、なんで誰もやらんし、言わないのか?本分をわきまえないもんは、いつのまにか人の道から外れてしまって人外のもの、妖怪になり果てていくのです。
いまや官僚は官僚ではなく「カンリョー」という超大型妖怪でしかない。
不況の時でも増収になってしまう「消費税のアップ」というカンリョーのエサにしかならんもんを増やそうと言う考えを、どうして誰もが正しいと考えるのか?
このあたりの目くらましを、ちょっとなんとかしたい。
そこいらあたりを、ほんまに真剣に討議すべきやと、私は思いますがねぇ。
速読の前に考えておくべき重要な4つのステップ。
この diary note で、リンクいただいている、裏picoさんの日記にフォトリーディングの講座に参加されたお話がありまして、それにずいぶんと刺激されました。僕もちょっとお金を貯めて講座に参加しようと思っておるのであります。(フォトリーディングは高いのよねぇ。11万円くらいするから。)
とは言うものの、では何故講座を受けたいか?というと、最近そろそろ自分の読書スピードに限界を感じ始めたからなのですね。
どうしても読書スピードを上げないと、自分の望んでいる状態に達成しないよなぁという事がひしひしと分かってきた訳なのであります。
ということで、多分フォトリーディングの講座は受けるということになると思うのですが、そういう気持ちになったのは何故か?ということと、ここに至るまでの読書ノウハウのまとめ、みたいな事が、意外に「速読までは必要ないけれど、ちょっとちゃんと読書はしていかなきゃなぁ」と思ってる人には役立つのかも?と思って、ちょっとまとめておきたいと思いました。
まずね。
何より、読書というのは、「するべきこと」なんですよね。
まずそれを意識しましょう。
「してない」という段階で問題だと思った方がいいです。
一生アホのままで良いと思う人は、ここから先は読まなくていいです。いやまぁアホのままの人生も、それはそれで幸せかもしれないので、別に悪いとは言いませんが。
で、読書に関して、いま僕が思うのは、読書には大きく4ステップの段階があって、それをキチンと意識・自覚して取り組んだ方が良いなぁ、という事なんですね。(で、これは速読とかの技術を学ばなくてもできる事なので、気になった方はやってみて欲しいです。)
そのステップは、
(1)読書目的の設定
(2)読書時間の確保
(3)読書マップの作成
(4)復習のためのノート
ということです。
娯楽のための読書も楽しいので、それはそれで良いのですが、そうではなくて、スキル習得とか知識習得のための読書ということを考えると、上記の4ステップは必要だろうなという気がします。
ということで順に説明していきますね。
まず、
(1)読書目的の設定------------------------------
です。
これは、いったい何のために読書が必要であるのか?ということを、自分に分からせるためのステップです。これは意外に難しくて、ここが明確になれば、何の技術の習得も関係なく、いきなり高速で本が読めるようになったりします。
たとえば、海外旅行に行くことになって、その前に旅先の情報を得ようとガイド本を読む場合など、かなり集中力が高まっていて、けっこうなスピードで読んでいたりするんですよね。自分では気づいてなかったりしますが。
なので、目的設定というのはかなり重要なんですが、これがまた不明確なままでも、別に死ぬことはないというような事で、ものすごく中途半端なままになっていることも多いのですよ。
だから、このあたりは、ノートに自分の夢を書き出してみたり、自分の興味があることをドンドンリストアップしてみたり、けっこう多様な取り組みが必要なステップだと思います。
で、人によっては「目的」自体が見つからない、という人もいてると思うんですよね。ありていに言ってしまえば、「人生で何をしたら良いのかが見つかっていない人」ですね。
これは、この無目的感自体が問題なので、それこそいろいろなアプローチでモチベーションアップを図った方が幸せですよと言いたいわけですが、それはそれとして、「何をしたら良いのかわからない」という人は、一度目的も定めずに本屋をブラブラしてみるのも手だと思いますね。
それこそ、本のタイトルを見ているうちに、思いもかけなかった事柄に興味が湧いてきて、ムクムクとやる気が出てくることもありますからね。
まぁあとは、いろいろノートに書き上げるのと、それこそテーマを決めない乱読も効果ありですわね。で、そういう自分のテーマを選ぶための乱読にこそ速読の技術が必要なんだ、という人もいてるでしょうね。それはそれで良いのだろうなと思います。
つぎ。
(2)読書時間の確保------------------------------
これですよね、これ。
速読の前に、必ず必要なノウハウがこれです。
とにかく、定期的に本を読む時間というものを、まず確保しないといけません。これは、速読の技術があろうがなかろうが、まず先に必要な事ではないか?という気がする。
僕は、まだ速読の技術がないので、せいぜい年間100冊前後をうろちょろしているレベルですが、それにしたって、
●通勤電車内での片道20分の読書時間
というものがあってはじめて、この冊数が達成できてるわけです。
最近は自転車通勤をするようになったので、通勤読書の代わりにキチンと読書する時間を取らねばと、通勤とは別に読書時間を取るようにしましたが、やはりそういう具合に自分で時間を決めて読書しないと、なかなか本は読めないようです。
ちなみに、意外な隙間時間として使えるのは、ポピュラーではありますが、トイレタイムと寝る前の数十分です。
トイレや枕元に、その場所でしか読まない本を一冊、あるいは数冊、ポンと置いておくだけで、けっこう読み進められるものです。大きく生活は変わらないけれども、読んでる本は増える、ということで、まずはお勧めしたいですね。
あとは喫茶店にこもる。
これはもう、一番有効な方法でしょうね。僕の通勤読書以外の読書時間では、一番多いものです。
こういう工夫とか努力もしないで速読の技術だけ追いかけても、それは全然意味がないよなぁって思います。
自営業で自宅で仕事をしてる人なんていうのは、それこそ通勤ということ自体がないので、本当に本を読む機会が奪われるんですよね。通勤時間の読書というのは、本当に大きくて、「電車の中では本を読むものである」という習慣を持つだけで、勤め人なら、かなりの読書時間を意識せずに確保できるんですね。手軽にかなりの大きなボリュームの読書時間が確保できる。これがものすごく大きいわけです。
なんだかんだ言っても、日本人の勤勉さや、モノづくりの品質の高さ、企業力の高さなどは、そこに努めている企業人の通勤読書力に支えられているところがものすごく大きいと思うんですよね。
で、だから、それなりのしっかりした企業で、「できるビジネスマン」と目される方は、まぁたいていちゃんと通勤読書をされてます。ムダに通勤時間を過ごしてないです。ここは本当にものすごく大きいです。
だから通勤してない人は本当にキチンと読書時間を確保しないとアカンのですよね。しかし、意識して読書時間を取るというのは、なかなか大変でして、僕も自転車に乗るようになってからは、穴埋めの時間確保に四苦八苦しております。ほんとうに通勤時間以外で本を読むというのは大変ですわ。
なので、そういう時間確保に大事なことは、まず、
●ムダ時間の削減
ということなんですね。
読書の有益性に比べたら、本当にムダな事をたくさんやってるんですよ、みんな。
たとえば、ネットのエロページの閲覧。
こんなムダなもんはないんですがね。
でも、やっちゃうんだよなぁ。
削りましょう。こういうものは。
あとは、
▼テレビ
▼ゲーム
が筆頭ですわな。
テレビとゲームは、はっきり言って、この10年でとんでもなく質が落ちました。本当に見るに値しないのが増えた。くだらんゲームも増えた。だから単なる習慣とかクセでやるのは、かなり危険です。質が低いですから。できる限り削りましょう。
で、もっと言ってしまうと、質の悪い作品が増えると、「質の良い作品を探す」ということ自体に、かなりの時間を取られるんですよね。これがまた時間がもったいない。なので、最近はテレビやゲームは、もうほとんど見てないし、やってないのでありますよ。よほど話題のものだけだなぁ。
あと、意外に難しいのが
▼スポーツ
ですなぁ。
なんかランニングマシーンみたいに読書しながらでもできるようなのなら、まぁ良いのですが、それ以外はなかなか読書できない。
もちろんオーディオブックを聞くという手はあるんですが、あれもねぇ、慣れるまでがなかなかですよ。まぁ、体を動かすことは健康のためにどうしても必要なことですから、このあたりは、今後の重要課題であります。
同じ理由で、
▼クルマの運転
というのも問題なんですね。本が読めない。アホになる。これもオーディオブックという解決策はあるし、実はオーディオブックは、本よりうんと情報量が多くて高速処理もできて印象にも残りやすくてメリットがかなり大きいんですが、入手しにくい、選択枝が狭いというものすごく大きなデメリットがあるので、完全な解決策とは言えないのであります。まぁ良いオーディオブックを「繰り返し聞く」というクルマ内での時間の使い方は良いと思いますが。それでもやっぱりクルマってのも読書には大敵ですな。
とにかく、なにはともあれ、速読より先に、まず「読書時間の確保」。これはもう絶対なのです。
時間割とか決めて毎日何時から30分だけは必ず本を読むとかしないと、なかなか読書量は増やせないんですよね。
で、ぶっちゃけ言ってしまうと、なんだかんだ言っても読書は「量」なんですよ。量を読んではじめて、「質」を判定できるようになるという側面があるので、量を読んでないと「良書」にたどりつけないんですね。
だから、まさに継続は力なり、なのであります。
で、つぎが、その「量」をいかに効率的にするか?というための、
(3)読書マップの作成----------------------------------
という事であります。
これは最近、自分の読書傾向が偏ってるよなぁという自覚から考え出した事なんですが、とにかく、(1)の「読書の目的」に沿って、キチンと「読むべき本のジャンル」というものをテーマ出ししとかないといけないんですね。
まず、自分の仕事の専門分野の本とかは、テーマ出ししとくべきだし、それ以外にも、教養として読んでおくべきジャンルも、リストアップしておいて、意識にとどめておかないとイカンよなぁ、ということなんです。
前は読みたい本があったら、どんどん買って、で、読むスピードが遅いものだから積ん読になってしまってたわけですが、最近それは金も空間もムダにするだけだよなぁと思って、書店で気になる本があっても、まずは書名のメモだけで終わらせまして、時間があるときに、この読書マップにマッピングするようにしてるんです。
「この本は、僕が身につけたいこのジャンルに分類できるわなぁ」とかやるんですね。
そうすると、いかに自分の興味が偏っているかがわかる。まぁ、そのまま偏ったまま突っ走るのも、ひとつの良い方法なんですが、それとは別に、「苦手克服」というのもチャレンジすると効果が大きいわけですよ。
たとえば、自分の能力が、いろんな面で、どれもこれも60点以上の力があるのに、一カ所だけ10点以下だったとします。
そうすると、こういう人は、いくら平均点で50点の人間でも、10点という極端に低い能力に引きずられて、実際には20~30点の能力しか発揮できない、なんてことがあるわけですよ。
たとえて言えば、アダルトチルドレンなんてのは、まさにこの「10点の足を引っ張る能力」と言えるでしょうし。マイナス点やもんなぁACは。やっぱし。なので、こういう問題は、キチンと学習して、さっさと卒業してしまうとかする。そうすると、他の60点の能力とかがどんどん生かせるようになっていくわけです。
で、そういうことを知るのに、読書マップを作っておくと効果が高いって事なんですね。
・社会
・政治
・投資
・金融
・歴史
・科学
・法律
・健康
・宗教
・英語
・自己啓発
などなど、なんでも良いわけですが、とりあえずは、まずは「ジャンル」を定めてマップにしておく、というのがなかなか賢いわけです。
で、もうひとつ言うと、ずいぶん、ずいぶん前に、この日記で書いた
田中角栄の勉強法
http://hitoyomi.diarynote.jp/200505031924190000/でも紹介しました、
●同ジャンル多読
というのが役立つのです。
上記のジャンル設定をしたら、そういうジャンルの本を入門書から専門書まで、さまざまなレベルの本をまとめて10冊くらい買ってくるんですね。で、一時期に一気にまとめて読んでしまうわけです。
こうすると、実はものすごく効率的に知識が手に入ります。
というのは、同ジャンルの本だと「重複」がものすごく多いからです。同じ事をわかりやすく書いてる本もあれば、よりつっこんで書いてある本もあります。が、入門書から読んでいけば、そういう難しい専門用語や概念も無理なくわかっていけますし、何より何冊も読んでいくうちに、そのジャンルで重要なことを、何回も復習することになるわけです。嫌でも頭に残るわけです。
だから、効率的に知識を獲得したかったら、この同ジャンル多読というのはとても効果が高いです。
で、そのためにも読書マップを作って、読みたい本とかをリストアップしておくと便利なんですね。
僕はまだやってませんが、「今月はこのテーマを集中して攻めるぞ!」とかやったら、ものすごく効果が高いと思う。これも速読の技術以前にすごく効果のあるやり方ですので、やってみて欲しいです。
で、もうひとつ僕がいまやっていて効果があるなぁと思ってるのが、
●読了書名録の記帳
という奴です。
これは、読んだ本のタイトルだけを、ノートに付けていくというそれだけなんですが、読書量を増やすためにも、上記の「復習」のためにも効果が高いのですね。
最初は、とにかく何を読んだかの記録をつけるためだけに書いてたんですが、読み直すうちに、この記録がやる気を引き出すモチベーションツールになってきたし、また、読んで面白かった、あるいは再読して勉強したい本のチェック用に最適だと気づいたんですね。
それこそ、再読したい本に赤丸をつけるだけで良いわけです。それだけで再読作業がうんとラクになります。
で、今後は、「本を捨てる」ということもどんどんやっていかなくてはならないので、そのためのリストにもなるよなぁと思ってるんですね。
本を捨てるのはいいんだけど、前に読んで捨ててしまった本を、ついうっかりまた買ってしまってとか、やりそうで怖いんですよね。本を捨てると。だから、何を捨てたのかもちゃんと記帳しておきたいわけでして。そういう意味でも、これは役立つよなぁと思っております。
で、そうやって再読しようと決めた本に関しての話が、次のステップでして、
(4)復習のためのノート----------------------------------
ということになります。
これはもう、別におかしなことでもなんでもなくて、学校の教科書とノートの関係を思えば、それで良いのだと思います。
いろいろやってみましたが、やっぱり本来は、
●良書をキチンとノートを取って読む
というのがベストですわ。
でも、なんでもかんでもそんな事をしてたら、時間がいくらあっても足りません。
ですから、
●本自体に書き込みをして、本をノートとして使う
というのも大事です。
これを本格的にやった場合は、いろいろな自分の書き込みの再読が必要にもなってきますから、上の読了書名録のところに、別の印でもつけておくべきでしょうね。いや、僕はまだやってませんが。そういうやりかたもあるだろうな、ということです。
だいたい、本は、読んだだけなら単なる娯楽と同じでして、後で何らかの形で活かさないとメリットがないというか小さいわけです。
たとえば、いちばんそういうことがはっきりしてるのが、パソコンのプログラミングの解説書とかですね。一時期パスカルをよく使っていて、そういう本を良く読みましたが、それこそ、そういう本は「使ってなんぼ」なわけです。
ですから、
・線を引く、マーカーで塗る。
のは当たり前で、
・本の角を折る(ドッグイヤー:犬の耳という呼び方もされます)
・付箋を貼る
というのも、絶対の必要性があるんですね。
で、どんな本でも、この「線を引く」「耳を折る」「付箋をつける」はやらなくては意味がない。まぁ小説とかの娯楽本には不要ですが、それ以外はどんどんこういう「汚し」をすべきでして、これをしとくと、後で読み直しするときの効率が、ものすごく良いのです。
ああ、この本は良かったなぁ、という本は、ときたまひっぱり出して、このマーキングされた部分を繰り返し読むと良いのです。
マーキングしたということは、自分の中に何らかのひっかかりがあってマーキングしたわけですから、その「こころ」を思い出して、それがきっかけで、また次の新しいアイディアが湧いたり、別の知識獲得に意欲が湧いたりするわけです。そこが大事。
よく「本を汚すなんてできない」という人がいますが、これはぜひ改めて欲しいなぁと思います。本は汚してなんぼ。本当に良い本で、気に入ったのなら、もう一冊買えば良いだけのことです。
この「線を引く」という行為に関しては、例の三色ボールペン勉強法の斎藤孝さんが「線を引くという決断」が大事とされていて、そこが面白いなと思うんですよ。
線を引くなら、中途半端に「あとで消せるように鉛筆で…」てなことを考えてはいけないのです。
一期一会。その時の自分の気持ちを大切に、決断して、ズバッと線を引く。その本と自分との関係性を、そのときに決める。そういう決断をすることが大事なわけです。
だから、あの齋藤孝さんの勉強法は「三色ボールペン勉強法」なわけです。決して「三色の鉛筆勉強法」ではないわけです。
これ、かな~~~り重要なんです。
この4ステップの最初に「読書の目的」というのを立てましたけど、そういうテーマの立て方とも関係してくるわけです。
私には、この知識が必要だ。
という決断というか、関わり方をする。腹をくくる、ということですね。
そういう事が、まず必要な事でして、ボールペンで線を引くというのは、そういう自分の「決断」を毎回明確にしているということでもあるわけです。
だから、線は引かないといけない。
それから、ボールペンやマーカー、付箋は、いつも持ってるわけではないでしょうから、ドッグイヤーも大事です。気になるところがあったら、どんどん耳を折る。これはクセとか習慣とかにしといたほうが良いです。再読するのに、やっぱりかなり便利です。
で、ノートですが、普通のノートがベストとは書いたものの、実はそれは本当に選びに選んだ最強の一冊に対してやれば良いことで、そうではない本になら、フォトリーディングでも勧められている
●マインドマップ
が、かなり良いです。
本の内容をノートテイキングするのに、マインドマップという技術は、かなり有用なんですね。マインドマップ自体は、ふだんのメモ取りとかに使うには、かなりクセがあって、誰にでも使えるというようなものではないと、僕は思ってるんですが、こと読書のまとめのためのノート取り技術としては、実に相性が良いのです。
ということで、僕は最近は、「まぁまぁそこそこ良かった」本に関してはマインドマップでノートというか、覚えを残してます。
しかも、松宮義仁さんという方が提唱している「シンプルマッピング」がかなり良いなぁと思って、読書のまとめには、これを使ってるんですね。
シンプルマッピングというのは、ものすごく簡単なマインドマップテクニックで、
▼文庫本サイズのA6ノートを見開きで1マップ用として使う
という、ただそれだけの技術なんです。こまかい話は省きますが、どこでも売っていて、気軽に鞄から出し入れしやすいA6ノート一冊に、読んだ本の内容をマインドマップにしてため込んで復習するというのは、なかなか効果的だと思います。いろんな「ステップ」を頭に残しやすいんですね。これは良いです。
読んで終わらせたら、それこそもったいないわけで、頭にキチンと入れて、知識を実践して、それではじめて本を読んだ意味が出てくるわけですから。
そういう用途に、このシンプルマッピングはとても実用的で良いです。一冊のノートに何十冊分の「概要」を圧縮して持ち歩けるのだから、効果は非常に高いと思います。
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とまぁ、こういう具合に、速読を学ぶ前に、読書をするために必要なステップというのはいろいろあるわけで、これらをやっただけでも速読を学ぶのと同じくらい効果があると思います。
が、逆に、ここまでやると、それこそ本を読むことの効果もよく分かるし「もっと読まなければ」とか「もっと読めば、もっと良い環境になるなぁ」とわかるので、どんどん速読の必要性も高まってくるわけです。いまのままだと、どうしても一年に100冊くらいが壁になっちゃうもんなぁ。
まぁ、あまり本を読まない人なら、まずは週に一冊、年50冊が目標だと思うんですが、それを達成したら、次は年100冊が目標で、それを達成したら、次のステップはもう速読しかないんじゃないかなぁ…というのが、僕の実感なわけです。
ま、ということで、速読、近いうちに講習を受けたいと思います。
とは言っても、まぁ来年になってからだと思いますけどね。
てなことでした。
トランセンド デジタルフォトフレーム PF810:これはなかなかのコストパフォーマンスやなぁ。
写真1を見る写真2を見るmixiの方で、お知り合いがデジタルフォトフレームについて書いておられまして。
で、値段が8900円とかだとおっしゃってたわけです。
「え?そんなに安くてそれなりの画質のがあるの?」と思って気になって、いろいろ見てたんですね。
というのは、母親が一人暮らしなんですが、たまに携帯で写真を撮ったりはしてるし、僕も記念写真を撮ってやっては、プリントして渡してやったりもしてるんですが、多くのデータがあるのに全部を渡してるわけでもないわけです。
なにより、自分で写真を撮る気があるなら、出歩いていろいろ撮影すれば、運動にもなる良いなと思って、「歩かなアカンで~」とかは言ってるわけですが、まぁ目的もなしには、なかなか歩けんわなぁと思いまして。
だから写真を撮るというのを、もうちょっとやったら良いのになぁと思ってたんですね。
でも、携帯やデジカメで写真を撮っても、それを手軽に見る道具がないわけですわな。そうなれば、そんなにしょっちゅう撮るはずもないわけで。
かと言ってパソコンを使うとなると操作を覚えるだけでも大変だし。
そんなこんなを考えると、デジタルフォトフレームというのは、かなり良いツールだなぁと思うわけです。とりあえず、お気に入りの写真を飾っておく「写真立て」として使うだけなら、なんの手間もかからない。それだけでも楽しいし。
で、その「写真立て」の、写真の差し替えがしたい、となったら、アルバムを兼ねて大量に入れてあるメモリカードから一覧で見て選ぶだけで別の写真が飾れるわけだし、その操作も、テレビのリモコンみたいな感じで使える。
年寄りには最適のツールだなぁと思うわけですね。
でも、しかし。
そうは言っても、もしあまり使わなかったら、ただの「写真立て」で終わってしまう可能性もなきにしもあらずです。
そうなると、2万円もするようなものだと、ちょっと買うのを躊躇しちゃうんですよねぇ。
確かにSONYのデジタルフォトフレームなんかは、画質もいいし、リモコンの使い勝手も良さそうだし、魅力的は魅力的なんですが、やっぱり値段がそこそこするわけですよ。だから、まぁ気にはしつつも、ずっとスルーしてたんです。
でも、8900円と聞くと「うぬ?そのくらいなら、まぁ良いか。」という気になりまして、いろいろと製品を調べていたわけです。
で、見つけたのが表題のトランセンドのデジタルフォトフレームでして、実は、最初に書いた知り合いの方が買った8900円の商品もトランセンドの製品だったんですね。
情報収集の過程で、カメラマンの人なんかにも意見を聞いてみたけど、やっぱり「トランセンドが安くて機能も豊富」という評価は同じでした。
ちゅうことで、これを買ったのです。
●トランセンド デジタルフォトフレーム PF810
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B002UNLZCMこれは少し上位機種だったので9980円でしたけどね。それでも機能が豊富なので、問題なしでありまして。
実際、購入して、母親用に、これまでに撮ったいろいろなデジカメ写真のデータをメモリカードにまとめて、音楽とかもつけてスライドショーにしてみると、なかなか見ごたえがあるんですよ。
「おお。こりゃいいなぁ。自分用が欲しいくらいだなぁ」
とかと思ってしまったわけであります。
だいたい、時計やカレンダーにもなるので、目覚まし時計の代わりに使えるわけです。
しかも自分の好きな曲を使って目覚まし時計にできる。それだけでもかなり良いのですよ。なんで普通の目覚まし時計ってのは、あんな素っ気ないベルやら電子音ばっかりなのかと思っちゃいますよ。好きな音楽で起きれるなら、その方が楽しいに決まってる。
でも、自分で曲を指定できるような目覚まし時計って、バカみたいに値段が高かったりするわけでして。
ともあれ、このPF810は、写真の一枚表示、スライドショー、動画再生、音楽再生が自在にできて、しかもFM放送の受信もできるんですね。で、これらを組み合わせて活用できる。
ちょっとした動画ビュアーにもなるし、FM放送で起きるってなこともできるわけで、なかなかよーでけとります。
機能紹介は、トランセンドのホームページが詳しいので、こちら
●トランセンドHP デジタルフォトフレーム PF810のページ
http://www.transcend.co.jp/Products/ModDetail.asp?ModNo=219&LangNo=17&Func1No=1&Func2No=を見ていただくとして、触ってみた範囲で欠点は唯一、
×スタンド足が縦位置・横位置で付け外しが必要
な点くらいですわ。
フレーム本体を縦横どちらに置いても、自動的に上下を判断して画像を90度回転してくれる機能はついてるのに、スタンド足は縦横共用タイプではなくて、いちいち付け外しが必要というのが、矛盾していて、よーわからん設定ですが、まぁ実用上それほど大きな問題でもないと思う。
便利な機能としては、他にも、オートパワーオフ・オンもあるし、メモリカードを入れたら自動認識するし、内蔵メモリも2Gバイトもあるから、手間なくアルバム兼ビュアーとして使える。音楽プレーヤー代わりにもなって、カレンダーに記念日とかをマーキングできたりもするし、それなりに便利。
わー、こらええわ、と思いつつ、いろいろデータをまとめたSDカードを、「試しに、一度、Wiiでも見てみよ。」と思って、「写真チャンネル」で見てみたわけです。
●Wii 写真チャンネル
http://www.nintendo.co.jp/wii/features/photo/index.htmlそしたらこれが!
すごい!
実にドラマチック。
動画も一気にスライドショーのモードで見れるし。
どうも人間の顔に自動的にフォーカスが移動するみたいで、そのあたりもすばらしい。
「うわー、任天堂すごい!」と、あらためて感激しましたな。
いやま、さすがにWiiは、年寄りのデジカメビュアー代わりにはしんどいし、カレンダーや時計にもならんわけですが、さすがに任天堂はソフト屋さんやなぁと、メモリ屋さんのトランセンドとの違いを実感しましたです。
ともあれ、トランセンド デジタルフォトフレーム PF810、なかなか良かったのであります。
はい。
みんな冬に手帳を買ってるけど、夏の事も考えてる? 名刺サイズのカードなら夏場も乗り越えますぞ。
写真1を見る写真2を見るそろそろ来年の手帳が街にあふれ出す季節になりました。
が、どうも最近、僕の場合は、ツイストリングノートを使い出してから「手帳」というものを使わなくなりつつあるんですよ。
というか、正確には
●ツイストリングノート:用紙を八折りにして持ち歩く。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200909050152412990/でも紹介した、「B5八折り胸ポケメモ」ばっかり使うようになったから、ということなんですね。
B5サイズの用紙を八折りにしますと、B8というサイズになりまして、これがほぼ名刺と同じサイズなんです。
で、これを胸ポケットに入れておくと、参照するにしても、メモを取るにしても、ちょっとした一週間以内の予定をメモするにも、まぁ間に合います。
「マメにメモするには手帳が便利だ」とか言って、みんな手帳を勧めるわけですが、実は手帳は背広やジャケットのポケットには収まっても、ワイシャツの胸ポケットには入らないわけですよ。
これがどう言うことかというと、実はけっこう盲点になっている部分がありまして、「夏の暑い時期には手帳の利便性が下がる」ということなんですね。
これねぇ、文具好きの私が、手帳を長年いろいろ使ってきた経験から言うと、手帳選びにおけえる、かなり重要なポイントだと思ってるんです。一年という大変ベーシックな基本単位において、環境に関係なく安定して使えるかどうか? という問題ですから、本当はかなり重要な話のはずなんですよね。でも、その重要なチェックポイントが、意外に見過ごされているんですよ。
というのは、手帳というのはスケジューラーとして使うという側面があるので、どうしても季節の変わり目に新発売されて、購入する人たちも秋から冬にかけて買うって場合が多いからなんですね。
まぁ、せいぜい「4月はじまり手帳」を2月3月に買うとか、年末の手帳商戦がどんどん前倒しになって10月、9月になって新製品が登場する、というところまでなので、暑い暑い、夏の時期にスケジュール手帳やら、メモ取りのための手帳やらについて考える機会自体がないんです。
つまり、ようは、「大きなポケットのついたジャケットを着ている時期」にしか手帳は売られていないし、「検討」もその時期にしかしていないって事なんです。
自分の服にポケットがある状態で手帳選びをして、「よし、この手帳で、仕事の情報を、ずっとマメにメモするぞ。」とか思ってるわけです。
でも、夏になったらどうすんのよ! って事でして。夏の暑い間も、ポケットのあるジャケット着るつもり? そうするつもりなら、いいけど、そうでなけりゃ、結局手帳はカバンの中に入れるノートと同じになっちゃうんだよ? って事なんですね。ならノートでもおんなじでしょうが。いや逆に面積が広い分、ノートの方が便利だよって事になるわけです。
でも、自分がいま着ている服を基準にしているから、そういうところにまで、頭が回らないわけですよ。
なので、手帳というのは、小さくてもせいぜい名刺の倍のサイズのB7以上のサイズになりまして、「ジャケットのポケットに入るサイズ」というけっこう中途半端なサイズが基準になってしまうわけです。
いやー、それでは夏の間がけっこう問題なんだよなー、って僕は思うんですけどね。
そういう意味では「手帳」というシステムは、「通年で同一環境で使う」という、もっとも基本的な要件自体を満たしていない設計ミス製品なのだ、とすら言えてしまう存在だったりするわけです。恐ろしいことに。
スケジューラーとしても問題ですけど、メモを取るとか、思索を深めるというような事を考えても、手帳のサイズというのは、じっくり文章を書くには小さく、胸ポケットの納める機動性も低いという中途半端な存在になってしまうわけです。
アイディアを拾う、というような作業は、いついかなる時に出てくるかわかりませんから、徹底した機動性が必要で、本当は携帯するメモ帳には、そういう部分での情報集約ツールの役割を満たしていないといけないんですね。でも、手帳は夏場には、そういう使い方ができないってことになるわけです。
ところが!
僕が使ってる「胸ポケメモ」は、この5月あたりから、暫定的にテキトーに使ってみただけの仕組みなんですけど、夏の暑い時期もラクラク乗り越えて、何を意識することもなく、まったく手順やら使いこなしやらの工夫をすることもなく、11月になろうとしている今も、同じやり方を変えずに、いまだに使えておるわけです。
まぁ、いちおう胸ポケットのある服でないと使えないですけどね。Tシャツ一枚で過ごしたい人には向きません。でも、「胸ポケット」程度なら、夏の服にもどこかにはついてるでしょう。そこに充分おさまるということです。
結局、定期とか、キャッシュカードとか、名刺とかで使われている、このB8くらいのサイズが、持ち歩きする情報媒体としては、スタンダードのサイズなんじゃないの?という気がするわけですよ。(そういう意味では例の超整理手帳は惜しい!紙を折るなら、いっそ八折りにした方が、使い勝手は飛躍的に高まりますって。間違いなく。)
で、実は、上記の「胸ポケメモ」以前に、私は名刺サイズの情報カードというものをずっと愛用しておりまして、ようよう考えてみれば、日常の各種メモツールの中でも、実はこの名刺サイズの情報カードをいちばんよく使ってるんじゃないかなぁと思うわけです。
名刺サイズの情報カードは、100枚セットで230円とかで売ってますので、
●情報カード 名刺サイズ 無地 C-211
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B0018HGSLYこれを何束も買ってきて、事務所の机の上とか、自宅のテーブルの上とか、食卓や寝床、トイレの中にまで、筆記具とともに置いてあるんですね。これがまぁ本当に便利でして。使いこなしにはそれなりに慣れが必要だろうとは思いますが、テンポラリな情報の取り扱いにはすごく使い勝手が良いです。
で、街なかを歩いている時でも、けっこうメモを取るのは名刺サイズの情報カードということが多いのですよ。
情報カードをダブルクリップでまとめておくだけでも、充分に使えるメモ帳になるんですが、まぁ僕の場合は、カードの取り出しもしやすいので、いちおう情報カードケースに入れて使っております。(写真で紹介したようなもの)
●メモパース (名刺サイズ) 発砲塩ビ
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B0018HJXCAまぁ、このカードケースは、気に入ってるわけでもないんですが、他に良いものもないもので。
で、実は、先に紹介したB5八折り胸ポケメモの週間スケジュールも、このカードケースにちょうど収まるので収納しておるのです。
(というのは自転車に乗るようになったから、いつでもメモが取れる、見れる、というのが必要、ということもあったのですが。)
ともあれ、おおむね、この仕組みで夏を乗り切れたし、このまま冬の環境でも使ってみようかなと思っておるのであります。手帳を買うなら、夏の事も考えて仕組み化しないとダメなんですよね。いや、ほんま。
そんなことで。
才能と努力。得意なことと好きなこと。見極めるためのノート。
最近は、「自分を活かす」ということがどういう事なのか、だんだんわからなくなってきております。
人にはそれぞれ才能があって、才能を活かした分野で活躍をするのが幸せなはずなんですけど、しかし、その才能を活かすための努力が「楽しい」と感じられないのだとしたら、それは単に「得意」なだけで、長期に渡って努力することは不可能だろうと思われるわけですね。
逆に、いくら才能がない、向いてないジャンルの事柄でも「楽しいなぁ」という実感さえ得られれば、ずっと努力し続けることができる。
結局は、好きなことと得意なことのどちらを選んで積み重ねていくのが良いかというと、やはり好きなことを選ぶのが賢いのだ、という話を良く聞くわけです。
それは確かにそうだよなぁとは思うのですが、でも、本当に自分に才能がない分野で、しかも、やたらと「下手の横好き」なだけだったとしたら、それはやっぱり、ムダにしかならないんじゃないか?とかも思うわけです。
残り人生が少なくなってくると、よけいに無駄な時間を費やしてはいけないと思う訳ですが、本当に才能のない分野でも、伸びが期待できない分野であっても、やっぱり、得意な事より好きな事をした方がいいのだろうか? と、やたらと堂々巡りする考えにとらわれてしまいますね。
でも、それでもやっぱり、やってる事自体が楽しいのであれば、楽しさの方を優先するべきなんでしょうね。
少なくとも、その事をやっている間は楽しい訳ですし、また、自分が楽しんでいる間は、回りも幸せなわけですから。
で、自分が本当にやりたい事があるにもかかわらず、何かに逃げ込んでそればっかりやってるというのは、やっぱりそれは、回りにとってすごく迷惑な事だし、その人にとってもものすごく不幸な事なんだろうなぁという風に思います。
そういう意味では、いったい自分が本当に好きなこと、やりたいことは何なんだろう?と自分を見つめ直すということが、ものすごく大事だなぁと、最近はよく思います。
意外にも、自分が本当にやりたいこと、やって楽しいと思えること、楽しいからこそ生きている意味を実感できること、を、見つけられないままに生きている人はすごく多いと思うんですね。
昔、仕事仲間で仕事上でWindowsをパソコンにインストールする必要があって、いろいろ設定もしなければならないわけですが、その過程でマインスイーパーにはまってしまって、えんえん一週間くらい抜け出せなくなってた男がいてるんですけど、なんか人間ってそういうところがあると思うんですよね。その男は、それほどゲーム好きのゲーマーというわけではなかったんですよ。でも、本質を見るということを忘れちゃってたわけでしてね。
でも、多くの人間が、そういう状況なんだろうなぁとしみじみと思います。
この日記でもちょくちょく書いてるAC=アダルトチルドレンの事にしても同じ事ですよね。自分を生きるのではなく、関係性に振り回されてるとか、まぁそういうことだと思います。
なかなか、自分の「楽しさ」を優先して生きていくというのは簡単にできるように見えて、実行するには、人生には、枝葉、脇道、回り道、迷路が多すぎて、貫き通すのもまた難しいように思います。
でも楽しさを上手に貫き通せば、たぶんイチローみたいなところまで行くんだろうなぁという気はしますよねぇ。ずっと永遠に努力し続けられる、努力する事自体が楽しみなわけですからねぇ。
最近、ここの日記でも、よくノートとかの文房具の事を話題に出してますけど、ようはそれも、自分がしたい事を見つけるのに、ノートに書き出してみるというのは、かなり有用だよなぁと思うからであるのです。
まず、自分の好みの手帳なりノートなりを見つけて、そこにどんどん自分の夢やら好きなことやりたいことを書いてみる。
ただそれだけで、かなり自分の想いというものは整理されるし、何を好きなのか?ということを確かめるためには効果がありますからね。
なによりついマインスイーパーをやり続けてしまうというような脇道の迷路にはまりこんでしまう事は防げます。
だから、まず、いろいろと、自分の好きなこと、やりたいこと、夢などを、まずは書き出してみることなんじゃないかなぁとは思いますね。
いや、いったい誰に言ってるんだろ?
あ、自分か。
おそまつ。
クルマのドライバーは自転車に乗る責任があると思う。
この間から思ってるのは、こういうこと。
クルマのドライバーこそが、クルマを降りて自転車に乗って欲しいなぁってことですね。
というのは、自転車に乗ってると良くわかるんですが、自転車乗りにもまともな人とまともでない人がいて、その差は、大きくは「免許を持っているかどうか」の違いが、けっこう大きいのだってことなんですよ。
自転車は無免許で乗れます。だから、ルールの解釈が「世の中を見て真似してる」だけなんですね。他に基準はないんです。
だから、クルマのドライバーが、クルマから降りて、順法で(車道を)自転車で走るようにするのが一番なんです。それを見て無免許の人が真似るわけだから。無免許の人が原則なしに走るから、その原則無しを真似る人が増えて、自転車乗りの世界がグチャグチャになってるわけです。
だから免許を持ってる=原則を知ってる人が、自転車「にも」乗って、お手本を示さないといけないんです。これはひとつの「責任」ですらあると思うよなぁ。
先日の「自転車会議!」という本には、「日本の都市の中で一番走りやすい都市はどこか?」という話が載っていて、結局それは東京なんじゃないのか?って話になったわけです。
なんでか?
実はそれは「自転車は車道を走るモノ」という納得が、クルマ乗りの方に浸透してる度合いが高いからなんですね。自転車を敵視して、追い越したところで、最近のスポーツバイクだと、信号でかなりの場合追いつかれてしまう。道がクルマで混んでいたら、自転車に追い抜かれることもザラなのだ、とよ~~く知ってるわけです。信号の多い、都市空間では「おれはクルマに乗ってるエライ人間なのだ!」というようなクラクション鳴らしみたいな振る舞いが、まーったくの無意味なのだと、了承しているドライバーが多いってことなんですよ。
そこまで自転車の優位性、街の中での自転車の速さを知ってしまえば、自分がクルマから降りて、時には自転車で移動してみるという事まで、ほんとうにほんの一歩でしかないと思うんですよね。
で、実際、「良い自転車ドライバー」になるためには、道路交通法規をある程度知っているとか、クルマで走る時のクルマの側の「常識・マナー」を知っている事が必須の知識になるわけですよ。だから、それを無免許の人の前で披瀝する人がどうしても必要なわけです。
で、その人材ってのは山ほどいて、それはクルマのドライバーさん、あんたなんだよって事です。
自分が動けば、手本を示せて、社会が変わるんです。
だから、あなたが自分でやりなさいって事ですね。
そしたら、クルマで走る時も無茶な自転車乗りが減って、快適に走れるわけです。
悪いことなどひとつもない。
ベストの方法です。
かっこ悪いなぁと思ったのが、勝間和代さんが「走りにくい街」の代表として挙げてたのが「大阪」だったってことで。
これがまた良く分かる。
大阪は本当に、走りにくい。
無免許のママチャリ乗りが、道路を逆走して走ってくるとか、ものすごく多いし。なんせ大阪市内の道路のかなり多くの幹線道路が一方通行なので、「自転車は進行方向の左側を走る」というルール自体が成立してないんですね。どうしたってクルマの流れに逆らった逆走をせざるを得ない事が多くて、そうなると、「左端走行」が守られなくなるんですなぁ。
大阪はかなり最悪。
でもね。
じゃあ、そういうルール無用の無免許の自転車乗りをどうしたらいいかというと、やっぱりそれは、免許を持ってキチンと自転車にのるまともな自転車乗りが増えることがベストなわけですよ。そうなれば、「見て真似る」だけだから、まともな自転車乗りの真似を、みんなが真似するんです。
で、そういう時に模範になれるのは、やっぱり、キチンと自動車免許を取得したクルマに乗った経験のある人なわけです。
免許を取得した上で、自動車で道路を走った経験のある人でないと、無免許で自転車に乗っている人の「あまりの無法ぶり」が理解できないんですね。無免許で自転車に乗ってる人は、何も教えられてなくて、回りを見て真似てるだけだから、自分が「あまりに無法である」という事自体がわかってないわけです。
そういう時にベストなのは「手本」を見せる事です。手本を知らないと、これはできない。で、クルマに乗ってる人は、まぁ自転車に乗っても「順法で走ろう」という意識さえ持てば、いきなり、かなりの優良自転車ドライバーになれますよ。
でも、それはクルマに乗ったままだと、何の解決にもならず、よりいっそう自転車と車の溝を深める事にしかならないわけです。
よく日曜日しかクルマに乗らないドライバーが、平気で自転車にパパパパパパーってクラクションを鳴らしてるけど、それはもう、愚の骨頂なわけです。相手は自動車免許を持ってないおばちゃんだったりするんだから。鳴らすだけ無意味なんです。(鳴らす事自体が、安全速度義務違反なんだけどね。)
結局、人間は、クルマのドライバーである時間もあれば、歩行者である時もあるわけで、それと同じく、自転車のドライバーであるという時間も増やせば良いのです。だから、なんでもかんでもクルマで移動して、自転車に乗りもしないで問題を深刻化させたりせずに、
●クルマから降りて、自転車に乗ればいい。
んですよ。
男女の問題は、男が女になることは不可能に近いので、簡単に相手の立場はわからないんですが、自転車と車の問題は、いくらでも立場は変えられるんです。
だから、自動車に乗っていて、自転車の無法ぶりにイラつくような人は、まず真っ先に自分がクルマから降りて自転車に乗ればいいんです。それが一番早い。
で、自動車のルールを体得した意識で、自転車を「クルマの一種」と自覚した自転車走行を、そういうオバチャンに「手本」として見せれば良いのです。
それだけの話です。
そういうまともな自転車乗りが増えれば、「見て学ぶ」だけの層もまともになっていきます。
だから、免許持ちこそ、自転車に乗らなきゃダメだと思うんですよね。
実際、クルマに乗ってる人は、道路という公的な空間を、徒歩オンリーの人間より多く塞いでいるわけです。
なのであれば、無免許自転車乗りを、正しく教育する責任だってあるって事ですよ。
ましてや、その教育をやれば、
●無謀な自転車乗りが減って、クルマで運転するときも快適に走れる。
というクルマの運転者にも大きな大きなメリットが生まれるわけですよ。免許を持ってるクルマ乗りが、自転車で手本を示す、という事をしなければ、こういう「快適に走れる道路」という環境も生まれて来ないわけです。
自分の快適は自分で作れば良い、というだけの簡単な話なわけです。
こういう当たり前の事がわかっていないのが問題なんです。
大事なのはクルマと自転車を分けることではなくて、いかに道路をみんなで上手に活用するか?って事なんですよね。
晴れた日で、荷物もなく、移動するのが都市部の市内で、移動距離15km以内なら、圧倒的に自転車の方が快適だし早いし、健康にも良いわけです。
雨の日や、荷物がある時や、ちょっと遠出をする時、あるいは単に気持ちよくクルマに乗ってストレス解消したい時はクルマに乗ったらいいんです。
しかし、そうじゃないときは自転車の方が便利で、しかも模範運転をしたら無免許ママチャリライダーへの教育効果まで出てくるんだから、自転車に乗らない方がおかしい。
だから自動車のドライバーである人、日常的にクルマに良く乗る人ほど、必要に応じて、正しく自転車に乗るべきなんですよ。
そうすれば、
●道路空間が空くので、クルマが走りやすくなる。
という、もっとも重要な変化が出てくるわけです。
渋滞の不快さを一番感じているのはクルマのドライバーでしょう? なら、自分で解決すれば良いのです。用事のない時は自転車で移動するようにする。それをドライバーの常識にする。そしてできる限り順法で車道を自転車で走る。
そうするだけで、アホで危険な無免許自転車乗りの問題を緩やかに正しつつ、クルマ一台分の走りやすいスペースを他のクルマ乗りのために空ける事ができるわけです。
クルマ乗り同士が、そうやってスペースを譲れば、それはそれは道路は快適に走れるようになりますよ。自転車は自動車の7分の1のスペースしか使いませんからね。
クルマ乗りこそ自転車にキチンと乗る。そういう常識ができれば、それこそ、自分が本当に急ぐときや、快適に走りたいときに、道路を快適に使えるという、クルマ乗りにとって一番大きなメリットが生まれるわけです。
だから、免許を持っていて、自家用車に乗っている人は、よほどの用がある時以外は自転車に乗るようにするべきなんですよ。
それこそが、クルマに乗ったときの快適さを高める最上の方法なわけですから。
僕に言わせれば、自家用車には、必ずスポーツ自転車がセットで付いてくるべきだとすら思いますから。法的にスポーツ自転車の購入を義務づけたら良いのにと思う。で、用もないのに自動車には乗らない。タバコ一箱買うのにガソリンなんか燃やさない。自転車で行く。当たり前や!そんな事!
で、免許持ちは、日々道路を、歩行者よりもはるかにたくさん塞いでいる責任を痛感して、自転車に乗るときは無免許自転車乗りの「教育」にいそしむと。
そういう流れができるのが、もっともみんなが幸せになる筋道だと思いますな。
無免許自転車乗りが、こんなに、あまりに無法なのはなぜかというと、これは実は、警察がかなり悪い。そうとうに悪い。ものすごく悪い。悪辣非道なる警察組織であるということが言える。
というのは、先の「自転車会議!」にも載ってましたが、警官がやる小学生への安全交通セミナーみたいなのが、かなりの問題をはらんでるわけです。
そういうところで教えるのは「手信号」だったりするわけです。それを法律に従って教える。
で、法律上では、左折するなり、右折するなりする時に「右左折が終了するまで手信号を出し続けること」という事になってるわけです。
片手運転推奨かよ!ボケか!
っちゅう話です。
そんな危ない事、自転車に乗りたての子どもにできるわけがありません。
で、そういうルールを教えられて、街に出ると、そういう事をしてる人はひとりもいてないわけです。
こういう事があると、どういうことになるか?
「ルールは守らなくて良いものだ」
という刷り込みだけができてしまうわけですよ。
しかも小学生の時に。
これがかなりの問題なわけです。
アホでひどい運転をするママチャリライダーというのは、こういうところから生まれている。
つまり警察が元凶なんです。
だから、そういうひどい警察の問題点を解消するためにも、ベストの手段は「自動車の免許持ちが、晴れた日の1人での移動の時には、自転車に乗って理想の自転車乗りとしての手本を示す。」ことなんですよ。
法律がおかしい部分は守らなくてもいいですが、道路でどうしても車線変更して右左折しなければならない時は曲がる前に手信号を出して後ろのクルマに知らせ、曲がる時はしっかりハンドルをホールドするという、当たり前の行為を、道を歩く子ども達の前で見せる、という事です。
そうすれば、5年後、10年後、その子たちが大きくなった時にたとえ免許を持っていなくても、まともな自転車乗りになって、クルマに乗っている人自身が、無謀な自転車乗りに、怖い思いをしなくて済むというわけです。
これ以外に正解はありません。
ちゅうことで、クルマに乗ってる人は、即、良い自転車を買って自転車で移動すること。
それをしない人は全員、自分のクビをしめてるというだけの話です。
はい。
丈夫なインデックス 686S は、バインダーノートの「新規フォルダ作成ツール」だ。
写真1を見るちょっと前に、マスキングテープを手帳類のインデックスにオススメしましたが。
●ツイストリング・ノートやシステム手帳のインデックスには、マスキングテープが便利。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200907151040088991/前言撤回します。
もっと良いモノがあった!
それがコレ!
●丈夫なインデックス 686S
http://www.mmm.co.jp/office/post_it/686s.htmlポストイットフラッグシリーズは、前からいろいろ見てたんですが、なにより素材が薄すぎて、見出しの「耳」として使うには軟弱すぎたんですね。カバンに入れるノートや手帳の場合は「耳」がすぐに折れてしまうのですよ。全然役に立たない。
ノートは本当に繰り返し、繰り返し見るし、普段持ち歩くから、ヤワな「耳」では役に立たないんですよね。
なので、フラッグシリーズ自体を「こんな薄い素材で作りやがって、バカじゃねーの?」とあきれていて(本気でかなりバカだと思う。用途をよく考えろっていうの。)敬遠してたんですが、先日文具屋によると、けっこうしっかりとしたPOPが商品横についていて「折れ曲がらない!丈夫!」とか使用シーンの写真付きで出てたわけです。
で、すぐに「おお!やっと出たか!」と思って使ってみたら、これがもう理想的。
なにより素材自体が「厚い」。
折れ曲がりにくい!
そうよ、そうよ、こういうのが欲しかったんだよーと思いましたね。
かれこれ13~4年は待ったんじゃないの?って思う。
・貼ってはがせる
・文字も書ける
・色数もそこそこある
という基本要素は押さえた上で、
・次々に取り出しやすい
というフラッグシリーズの美点まで引き継いでいるのが、これまた良い!
いつでも気軽に「分類項目」を新設定できるというのは、パソコンで言うところの「フォルダの新規作成」の機能が、紙のノートに加わった感覚なわけです。
これはかなり良いですよ。
と、大感激してたんだけど、でもこれ、どうも新製品というようなものでもないらしいんですよね。
ニュースリリースを見ると、この商品の発売日は、今年の6月だったみたいなんですけど、
http://www.mmm.co.jp/news/2009/info/20090527.htmlでも、なんか、前から類似した商品はあったみたいなんですよ。
それがこれ。
●丈夫なインデックス
http://www.mmm.co.jp/office/post_it/686_pgo.html●丈夫な見出し
http://www.mmm.co.jp/office/post_it/686l.htmlこれらがどうも2007年くらいから出てたらしいのですな。
しかし、フラッグシリーズの「厚い版」として出てたから、まったく印象に残らなかったんですな。ほんとフラッグシリーズは「次々取り出せる」「薄くて持ち歩きに便利」にするために薄い薄いフィルムを使ってましたから。「こんなもん使えるか~!」と腹を立ててたくらいで。
あんな薄い素材だと、ほんとうにテンポラリな、暫定的な使い方(1週間程度)しか、役に立たないのですよ。せめてこの「丈夫な~」シリーズくらいの厚みがないと、ひと月ふた月と使う「フォルダの耳」として使えない。
で、もともと、この商品って「フォルダの耳部分」の代替商品だと僕は前から思っていて、だからなんで厚みのある素材のを作らないのか不思議でしょうがなかったわけです。
これをフラッグシリーズの「バリエーション」として出してたのか。アホやなぁ。
もう、フラッグシリーズは、全部、この厚い素材に変えろ!とすら言いたくなりますね。
これだけの厚みがあると用途そのものがかなり変わる。用途の幅がすごく広い。
なので、この新しい「丈夫なインデックス 686S」の方は、かなりいろんなところに使えると思います。僕が自信を持っておすすめします。
それと、前から出ていた「丈夫な~」は、枚数も多くて価格も高いのですよ。
これも訳がわからない。
厚いということは長持ちするんだから、一枚の使用期間が長くなる。だから枚数はたくさんは必要ないんよね。なのに、たぶん他のフラッグシリーズと枚数を合わせたんやろなぁと。何をアホなことしてるんやろ?って思う。
どうもスリーエムはやることが良く分からない。
今回の686sは枚数が半分になって、値段も半分になってます。正しい。
やっとマーケティングリサーチができてきたって事ですかね。
商品開発やら、販売促進のケーススタディとしても参考になるお話しですなぁ。前の商品は販売までパッケージで考えてなかったのが失敗の原因だったってことでしょう。そこまで考えるのが当然の時代になってるのに。ふ~。
ともあれ、「丈夫なインデックス 686S」は、かなりオススメできます。
システム手帳など、バインダーノート類を使う人には必須のツールでしょう。
これは良いです。
日中が手を組むと世界最強の勢力になると、世界は日中同盟を気にしてるそうです。
民主党政権に変わってから、いろいろと思うことが多々ありますなぁ。
自民党政権というのは、官僚による支配で、それはつまり官僚たちをアメリカが直接コントロールしていた政権であって、関岡英之さんが『拒否できない日本』で紹介したように、「年次改革要望書」という文書のとおりに日本が改造され、アメリカの属国としての日本、というアプローチしか政策がなかったという事なんだ、というのが、大きな枠組みとしての理解だと思うんですね。
で、最近僕が、「あ、そうか」と気付かされたのは、例の田中宇さんのメルマガに、日本と中国が本気で手を組むことの意味が書いてあったことです。
(引用開始)-----------------
すでに英国の新聞は「明治維新以来の仇敵だった日本と中国が同盟を組む交渉を始めたので、世界は驚いている。世界第2位と3位の経済規模の日中が組めば、世界最強の勢力となる」と報じている。日本人の多くが自覚しないうちに、すでに世界は「日中同盟」を気にしている。
(引用終了)-----------------
ってことなのですな。
だから結局、アメリカは、もう昔から日本と中国が手を組むことを妨害してたんだなぁと、しみじみと実感したわけです。
佐藤栄作の沖縄返還からノーベル賞への流れも、(これはヨーロッパ勢からの牽制もあるでしょうが)、田中角栄の日中国交再開からロッキードによる追い落しまでの流れも、小泉君の靖国参拝から中国非難までの流れも、ようは外国勢による日本・中国の切り離し策としての側面が、かなり大きかったんだなぁって思う。
外からのあやつりに翻弄されるしかないのが日本だったのだなぁと。
いやまぁ、いまの民主党政権もそれなりに海外とのつながりはあるでしょうけどな。でも自民党みたいに、結党時にCIAからお金が出てたとかはないんやろなぁ、とは思います。ヨーロッパの貴族とか、そのあたりからは金が出てそうやけど。
やっぱり、国内文化から世界を見ようと思っても、それは無理なんよねぇ。まず地球をビー玉みたいに、ひとつの環境として見て、その中での関係性を見るとか、大きな世界史の流れの中に日本という国の歴史を位置づけるとかしないと、概略が見えてこないんやなぁとしみじみ実感したというような事ですね。
日本の、若く、貧しい層が痛めつけられていた、ここ数年、そういう層の人たちこそが「反中国!」とかを叫んでいて、「ああ、大きな力にあやつられてるんやろなぁ」という感じが強かったわけです。ネット右翼とかも同じ流れにありますわな。
なんなんやろね、あの、若い貧困層の人たちは。ネット右翼で、なぜか小泉君や麻生君が大好きで、中国攻撃ばっかりしている層。ここしばらくで、えらく増えた。たぶん、世の中の仕組みの変化で、自分たちが一番踏みつけにされていて、そのためにうっぷんは溜まるけど、友達や一般社会は同じ日本人として攻撃する気になれず、その分中国に恨み辛みをぶつけてたとか、そういう事なんやろなぁ。
でも、それはアメリカに都合が良かったから、そういう層が拡大することも、そのままにされてたって事なんよなぁ。
もともと、「死んだら仏さま」になる日本の文化では、「死人=スーパーパワーを持つスピリチュアルな存在」なので、むごたらしい殺し方をしたら、霊に恨み殺されるという宗教文化があって、それゆえに「苦しめずに殺す」というのが政治解決の手法の一つである戦(いくさ)においても当然だったわけです。
しかし、こんな文化は日本だけのものですから、中国の文化とは相容れません。中国人の歴史観では、偉人であれ悪人であれ、それは歴史という壮大な「空間」の中に永遠に生き続ける「人間」そのものなので、歴史的に「悪人」と規定されている人物は、わざわざ悪人の像を作ってツバをみんなで吐きかける、てなことまでします。
なので彼らは、ものすごくむごたらしい殺し方をするし、そういうところが日本人にはものすごく非道に見えて、どうしても国民的に好きになれないっていうのがあるわけです。
けど、それもまた文化なのでねぇ。好悪の感情とは別に、「アジア人同士仲良くする」というのは、しないとダメだと思うのよな。ご近所さんなんだから。
で、こういう文化の違いみたいな事は、実は中国でも日本でもない欧米人からの方が良く見える。丸見え。だから、それを利用されるわけだ。
で、わざと仲を引き裂くようにミスリードする。
南京大虐殺だって、レポートを書いたのは欧米人だしね。後からギャースカ言ってたのも、確か中国系「アメリカ人」だったわけですしな。
南京大虐殺で「30万人もの人が殺された」という一文があるんですが、あれは、もともと中国語を知っている人なら読み間違わないらしい。「30万人」というのは「ものすごく多くの」という意味の接頭語なんだそうです。中国語にはピンインがあるから、次の言葉につなげて修飾するには3万とか一万とかではゴロが悪くて修飾詞として使えず、どうしても30万になっちゃうんだってさ。
でも、それを分っていて「30万人」とわざと英語に誤訳した層というのがいてるわけです。
いや分っていてなのかどうかは、証拠がない。単なる誤訳かも知れない。そういう証拠のない感情操作っていうのをきゃつらはやるわけだ。実にずるい。けど、まぁ頭はいいよなぁ。ズル賢い。
で、「多くの人間が殺された」というのは事実だから、南京大虐殺を否定すると、日本人はウソつきであるかのように、向こうの人は思っちゃうわけですよ。
こういうズル賢い策略にはまったらアカンのです。日本人の宗教心と中国人の宗教心が水と油だ、ということまで、欧米人には見透かされてるんだから。
なので、別に「仲良く」まではしなくてもいいけど、協力したり、手を組んだりするのはどんどんしたら良いんだよなって思う。「アジア人同士争わず」だ。ああ、副島隆彦さんの提言は、やっぱり優れとるなぁ。感服してしまう。
中国の電車の中はゴミ溜めのようだし、中国産の食品は、なんだかんだいってもやっぱり不安だし、どうしても彼らの事はあまり好きにはなれないのですが、でもやっぱりお隣の国とは仲良くしなくちゃアカンのよな。結局はそこに行く。
嫌いだなぁという自分の感情を否定する必要はないと思うけど、そこをわざわざ拡大する必要もない。相性のあわん奴はおるよ。それはしょうがない。ま、是々非々で考えて行きましょうや。
そういう気がする。
役人は、「自分が非常識なのである」ということが、全然理解できない種族なのです。
えー、こういう記事がありまして。
(引用開始)--------------------------------------
橋下知事、職員からのメールに激怒 「物言い非常識」厳重注意へ
2009.10.8 13:47
橋下徹大阪府知事 大阪府の橋下徹知事は8日、職員から受けたメールが「物言いが非常識」として、同日付でこの職員を厳重注意にすると明かした。
橋下知事は1日夜に全職員にメールを送信。和歌山市の紀の川大堰からの利水撤退で、府の負担が約380億円にのぼったことに対する府幹部の議会答弁に謝罪の気持ちがなかったことを問題視した。これに対し、職員が反発し、「愚痴は自分のブログでしてほしい」などの内容のメールを返信。橋下知事は「組織のトップに対する物言いとして逸脱している。組織の体をなしていない」などと職員の処分を検討するよう人事担当者に指示した。
(引用終了)-------------------------------------
これねぇ、世間のみなさまの意見でも橋下知事の対応が賛否両論だったりするわけですよ。
(引用開始)--------------------------------------
メールで職員処分 橋下知事に「大人げない」
2009.10.9 16:06
大阪府議会で代表質問に答弁する橋下知事=9月30日 大阪府の橋下徹知事が、不適切な表現のメールを知事に送ったことを理由に女性職員を厳重注意としたことに「知事は大人げない」「(職員は)非常識」などと賛否の声が多数寄せられていることが9日、分かった。
府民課によると、8日夕方までに電話やメールで計93件の意見があり、橋下知事の対応に批判的なものが53件と過半数を占めた。「処分で意見が出にくくなるのではないか」「厳しすぎる」などの声が多かったという。
一方で「トップに対する言葉として失礼だ」「身分が安定している公務員だからこんなことができるのか」と、職員を批判する内容も。意見は9日午前も引き続き寄せられているという。
橋下知事は同日朝、府庁で記者団に「トップの訓示に対する物言いや対応を問題視した。(職員は)府民がわたしを批判することと、上司と部下の関係を勘違いしている」と述べた。
女性職員は2日、橋下知事が全職員に送った税金に対する感覚の違いを批判するメールに対し「愚痴はブログでしてほしい」などと返信。8日に口頭で厳重注意を受けた。
(引用終了)-------------------------------------
でね。
これが普通の会社の上司と部下ならね、確かに橋下くんの処分や言い方は、「ちょっと大人げない」と言われても仕方ないと思うんですよ。それは確かに。
でもね。
これは相手が違うんです。
相手が役人なんです。
はっきり言いますが、
●公務員というのは社会的なカタワである。
んですよ。
言ったらなんですけど、世間一般の、お給料をいただいて、その実績に応じて自分の実力が問われるような「経済的試練」というものを、
●生涯経験することがないという前提で生きている種族。
なんです。
一般の経済的な思考やスキルのある、「フツーの一般人」じゃないんですよ。
はっきりくっきり「異常人」なんです。
その異常さを、世間一般の人間は、甘く見ているから、この橋下くんの処分が「大人げない」というように見えるわけです。
いや、違うって。役人は、それこそ宇宙人ですって。鳩山さんどころの騒ぎではないんです。「コームイン族」という人類以外の生命体と思った方が良いくらいなんですって。
まず、そこのところを、正しく認識しないといけないんです。
ところが!
この「役人と一般人は、思想・信条やライフスタイルまで、根本的に全く異なる別人種なのである。」という、もっとも重要な点を、一般人も役人たちも、どっちも理解していないという、とんでもない不幸が、この国にはあるわけですよ。
だから、橋下くんみたいに、一般庶民の庶民感覚で民事的なもめ事を処理してきた弁護士あがりの知事からすると、こういう「大人げない処分」をせざるを得なくなってくるわけです。
だから、僕は、橋下くんの判断は、かなりマトモかつまっとうだと思いますよ。
だいたいね、役人・公務員が「普通の会社と同じように働いているのだから、給料をもらえて当たり前だ」と思う時点で、そいつらは死刑に匹敵するとんでもない間違った発言をしているんですよ。
役人や公務員の仕事というのは、すべて、どんな仕事でも、全部、経済活動には直接タッチしない仕事なわけです。経済的にペイする仕事なら、公的機関でやるのではなくて、民間が株式会社で、キチンと成功報酬なども含めたまともな人事考課のある仕組みでやればいいことなんです。
でも、そういう仕組みではペイしない事をこそ、役所や政府はやらなきゃいけないわけです。
ですから、役人や公務員の給料は、
●もともと完全に赤字。
なわけですよ。黒字になるような事なら民間でやればいいわけだから。
つまり、もともと公務員のやってることは、
●儲からない仕事
なわけです。どこをどうやったって、
●無駄遣いにしかならない仕事
を、彼らはやってるわけですし、そうでなければ公的機関の意味なんてないわけです。
で、それでも必要なことだから、仕方なしに税金を払って役人たちに事務処理とかそういうことをやってもらってるわけでしょう。
だから役人というのは、
●もともとやっかいもの。
であって、できるならば、
●一刻も早くお払い箱
にしたい存在で、
●毎分毎秒、合理化してでも、必要経費をどんどん削らなければいけない業務。
なわけで、であるからして、
●役人の給料は、どんどんどんどん下げるのが当然
のものなわけです。
であるにも関わらず、「役人の給料が下がったら、モチベーションが下がってしまう」などというバカの極み、とんでもない勘違い野郎が続出しているのが、日本の現状で、しかもなおかつ、そういうバカの極みの発言を聞いて、一般の国民も「まぁ役人も国民なんだから、それなりに働いてもらわないとなぁ」とか言ってしまうていたらくなわけですよ。
そんなものね、給料が下がってモチベーションが下がるような人間は、経済による競争システムを肯定している思想を持った人間なんだから、
●なら、役人をやめて一般企業で働け!バカモン!
ということにしかならないわけです。
役人というのは、
●経済競争ではなく、人間の尊厳そのものを守ることこそが大切だ。
という価値観で生きているような人がなるべき職業なのであって、給与でやる気が上下するような人間は、とにかく真っ先にやめてもらわないと困るわけです。
本来役人というものは、
●「経済の役にも立っていないのに、私のようなものに給料を国民のみなさまがくださって、なんとありがたいのだろう。なんとか、もっと少ない給料で、この仕事を実現することはできないだろうか?もっと少ない人員で、同じ公的サービスを実現することはできないだろうか?」
と考えるのが仕事であって、他に仕事なんかないんですよ。もともと「穀潰し」なんだから。
●もともと「穀潰し」なのである。
という、役人・公務員の本質を、みんながみんな、忘れてる事が問題なんですよ。この国は。
このあたりはねぇ、かなり「考え方の断絶」ってものがあると思いますねぇ。
それは多分、そこいらの中小企業の社長とかが、大阪府知事になったら、もう、毎日役人ひとりひとりの言葉の一言一言が、腹が立って腹が立ってしょうがないくらい違和感を感じるはずですよ。きっとそういう状態なんだと思う。
でも、この記事にある職員は、その自分の「非常識さ」に気づくことすらできないくらいの頭がおかしいというか、世間からずれてるだろうと想像できます。かなりパッパラパーというかズレまくり人間でしょうなぁ。ほんとに。
ということで、橋下くん自体を全面的に支持するわけでもないんですけど、この件に関しては、
●賛否が分かれるということ自体が大問題なのだ。
と言っておきたいです。
こういうことは、はっきり国民として、徹底して、
●完璧、100%、どこをどうとっても、この職員が間違いであり、狂っている。キチガイだ。
と断定すべきなんです。キチガイレベルですよ。ほんとに。
でも、こういう話が出ると、世間的には「賛否が分かれる」という記事が出てしまいまして、この職員は永遠に、死ぬまで「自分がとんでもなく間違っているのだ」ということに気づくことすらできないわけです。「世間でも賛否両論やん」とか思ってるわけです。
あのなぁ、おまえらは、河原乞食と同じで、根っからの穀潰しなんやぞ?
それが、不況でも首切りにあわないだけでも、
●ああ、国民のみなさまのお慈悲で、私は生きながらえさせていただいている、なんてありがたいことなのだろう。
と思うのが筋であり、そういう気持ちを持つことこそが「役人魂」なのだ。これは本質論ですよ。小説家が文章で人をうならせる、歌手が歌声で人を癒すのと同じく、役人は河原乞食として、「こんなに給料をもらってはいけない。税金のムダ使いなどしたら天罰が下る。国民のみなさまに生涯感謝しなければ」と真剣に思うことこそが役人の仕事。そういう事なんです。
本質を踏み外してる人間は、どこへ行っても恥ずかしい存在で、死んでも成仏できまへん。
そういうことでおます。
なので、この件、完全、完璧、絶対的に、橋下君が正しい。
で、この件で、「橋下は大人げない」と、一般国民が言ってしまう事も根本的に間違いなので、ついうっかりそう思ってしまった人は、この機会に、考えを改めてください。
以上。
トヨタは自転車を作るべきだ。2。
写真1を見るまえに、
●トヨタは自転車をつくるべきだ。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200901130817068576/という書き込みをしましたが、先日、
自転車会議
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/456977217Xという本を読みまして、よりいっそう、「トヨタは自転車を作るべきだ」と思いましたねぇ。
いや、この本に「トヨタよ自転車を作れ」とは全然書いてないんですけどね。
この本は、自転車好きの有名人の歓談というかワイワイガヤガヤしゃべってる内容で、内容としては薄いんですけど、新しい情報とか、いろんな角度からの切り口とかがあって、そういう意味ではとても面白い本でした。夕方に買ってその日の内に読んでしまった。2時間くらいで充分読めてしまう内容。
ただ、登場人物が、自転車界のご意見番、疋田智さんは当然にしても、いまや時代の寵児となった勝間和代さん、元レーサーの片山右京さん、日本人初のツールドフランス出場者今中大介さん、自民党総裁になられた谷垣禎一さんと、そうそうたるメンバーなのですね。そこがすごい。
で、この人たちは全員、自転車フリークなわけです。なので、話してる内容自体がすごい。
だから読んでると、いろいろぶっ飛んだ事が書いてあるんですよね。たとえば、
●イタリアの高速道路(スーパーストラーダ:準高速という感じのものらしい)では、自転車が走れる。
●ノルウェーでも高速を自転車が通行可能
●オランダには、どんな小さな道にも自転車用レーンが設置されている
●オランダでは自転車専用道路の長さが日本の100倍である
●当然、自転車専用レーンに駐車する車はいない
●デンマーク・フィンランドには自転車専用の早めに切り替わる信号がある
とまぁ、ほへぇ~と目を丸くするしかない話が満載です。海外の自転車事情は本当にうらやましいなぁ~と心底思いますな。
で、これが道路行政の進むべき方向だよなぁって思うわけです。まぁ基本はヨーロッパの話なんですけどね。自転車はやっぱりヨーロッパです。文化の厚みが違うわ。乗り物として、社会的に正しく評価されてるよなぁって思うわけです。
まず、ヨーロッパと日本にこれだけの差があるという事を念頭においていただいて…。
(あ、そうか、自転車がいかに「クルマの代替になりえるすぐれた交通機関であるのか」ということを、ここのページを読んでる人は知らないのですよね。ああ、そうだった。
えー世界標準のスポーツ自転車に乗れば、時速25km~35kmくらいは出せますので、大阪や東京では、地下鉄などの公共交通機関を使うより早くに出発点から到着点まで移動できます。何より早いです。最強です。一方通行は関係ないし、駐車の手間なども不要ですから市内・都内移動なら、自動車なんかほぼナンセンスなのです。雨の日以外は。人間1人が移動するだけなら、まず自転車が最強。荷物を運ぶ、複数人で移動する、などの用事がないかぎり、クルマにアドバンテージは全くありません。)
たとえば、フランスなんかでは、バスと自転車が共有する「バス・自転車専用レーン」というのがあって、このレーンには自動車は入れず、バスも速度が30km/h台で動いてるのだそうです。
都市交通においては信号が絶対に必要になりますから、40km/hを越すスピードというのは、実用上意味がないんですよ。テンポ30、ようするに30km/h台での移動で充分足りるんですね。で、専用レーンでバスが渋滞にまきこまれなくなると、時刻表どおりに発着ができて市民の足として有用になるということです。自転車も同様のスピードで安全に走れれば、かなりの数の市民がストレスなく快適に都市を移動できるということになります。
こういう事を見聞きすると、やっぱり、もっと自転車を優遇した社会にすべきだと本当に思うんですよね。クルマを否定することはしないけども、なんでもかんでもクルマを使うというのではなくて、「ひとりで移動するだけだし自転車やバスで行けばいいや」という選択肢を、きちんと作っておかないとダメだって事です。
で、自転車・バスが実用に足る、市民の足になれば、クルマにとってもかなり大きなメリットが出てくるんです。
というのは、クルマから、バス・自転車に乗り換えると、それだけで道路に空き空間が生まれるからなんですよ。
つまり、道が空いて、クルマが走りやすくなるってことです。
当然でしょ?これ。
どうしてここに、みんなが気がつかないのか。
みんなが必要以上にクルマばっかり使うから、クルマが混雑を引き起こして、不便な社会になってしまってるわけです。
だから都市交通というのは、
●クルマに不便で、自転車やバスに便利な仕組み。
にした方が圧倒的にみんなが快適だってことなんですよ。クルマに乗っている人にも快適なんです。
バスに乗ってる人が全員クルマで移動したら、車間距離まで含めて、そら、ものすご~~い面積が必要になって、道路が大混雑になってしまうに決まってます。当たり前の話です。
だから、バスや自転車はクルマの敵ではなく、非常に大切なクルマの仲間なのだと再認識していただきたいですな。(というか、もともと自転車は軽車両と言って本質的に「クルマ」なんですけども。)
クルマでも、二人以上乗ってるとか、荷物を運んでるというのなら、腹も立たないですけど、ボーっとした人間がひとりでクルマに乗ってるだけというようなのを見ると「お前、何を道路の無駄遣いしとんねん!クルマから降りろ!迷惑や!」と言いたくなってしまうんですよ。
道路は移動したいと思っている人間、みんなのものであって、「クルマのもの」ではないんですよね。
で、こういう事を、すごく、普通の人に知って欲しいよなぁと思ってるわけですけど、この本の中でこれまた面白い事が書いてあって、
●トヨタはそういう人の移動の効率について深い見識がある。
という事を片山右京さんは言うわけですよ。なんちゅうても、元レーサーですからね。ちょっと引用しましょう。
(引用開始)------------------
片山 (略)トヨタなんていうのは、そういうところにものすごい理解が深い。たとえば、奥さんが駅に旦那さんを「ヴィッツ」というちっちゃなクルマで送りますよね。あれは、人間1人を運ぶために1.3トンぐらいのものを動かすということで、エネルギー効率的には非常に矛盾している、ということを言っていますからね。
(引用終了)------------------
という事なんだそうです。
で、実は疋田智さんという方は、テレビ局で番組制作をするのが本業の方なんですけど、実は「自転車に乗ろう!」というような番組を局に提案しても、スポンサーが付かないんだそうです。
そりゃそうですね。日本で自転車に関係している会社といえば、本当に小さな会社ばかりですし、大手でもブリジストンとかタイヤが本業だったりパナソニックみたいに一部門が自転車を作ってるところばっかりで、世界的な自転車関連企業のシマノが存在してるにはしてますが、あくまで部品メーカーなので、一般に広告を打つ必然性がないわけです。だから、そういう番組が成立しなくなっちゃってるんですね。
しかも、疋田さんが言うには、テレビ番組側の、よけいな気の回し方みたいな話があるということなんです。たとえば勝間和代さんが、番組中で「こういうシーンではクルマはやめて自転車に乗ればいいじゃないですか。」とリハーサルで発言したら、プロデューサーが飛んできて「それ本番では勘弁してください。スポンサーが某クルマメーカーなんです。」と規制したりするんだそうです。
くだらない自己規制なんですよね。上記のような「自転車や公共交通機関の利用が増えれば、クルマも走りやすい」という大前提が見えてない。トヨタも、そういう事はわかっているのだ、という知識もない。
つまり、気を回しすぎの自己規制で、みんなが知るべき情報がマスコミには流れていないって事なんです。
このあたりのジレンマは、自転車乗りにはすごく大きくて、ほんとうにどこか力のある団体が、上手に政治を動かしてくれないかなぁと真剣に思ってしまうわけですよ。
で、そういう事を考えると、実はやっぱり、こういう「ゆがみ」が出てしまうのは、トヨタが自転車を作っていない、世界的に遅れた会社だからだって事にしかならないわけです。
本来は「クルマを作る会社」ではなくて「人の移動をサポートする会社」でなければいけないわけです。そういう企業文化とか社会参加意識が低いわけですね。
で、次々に新しいクルマを作っては買い換えさせるという戦略しか採ってない。
でも、ですよ、クルマだけを売るのではなくて、クルマ+自転車を売れば、+アルファがある分儲かるし、こういう不況時にも、経営的にも安定するはずなんですよ。
クルマ一台の値段はどんどん安くなっていて、高い自転車(本当に良い自転車なら一台100万円くらいラクラクでかかります。20万円とか30万円とか、けっこう普通の値段です。)自転車一台とそんなに差がなくなってしまってる。
しかもクルマは、都市部だと一台あったら、それで家族全員が移動しておしまいなわけです。でも自転車ならひとりに一台以外に選択枝はないんですよね。だから「ひとりに一台」というのがまったく無理なく成立するわけですよ。
まぁ田舎だったらひとりに一台とは言わないまでも、2台、3台買うことはよくありますけど、駐車場代やら空間やらムダも多い。だからやっぱり自転車とセットで「生活における移動ツールを総合的に提供する」という方向に企業として進化すべきだと思うんですよね。
仮に最廉価版のスポーツ自転車を5万円として、5人家族なら5×5=25万円にはなるわけですよ。良い自転車なら10万円以上も当たり前ですから、(軽くて実用に足る自転車なら、どうしてもそういう価格になります。)家族5人で50万円は確実に自動車にプラスする形で購入してもらえるわけです。
こうなってくると、自転車の販売だって、バカにはできなくなってくるでしょう。
この不況で買い換えもなかなか進まないかも知れなくても、自転車ならガソリン代・駐車場代すら不要なのだから、その有用性さえアピールできれば、けっこう買ってもらえるはずなのです。
しかも、健康にも良くて、企業イメージの向上に役立つし、エコへの貢献度も一気に高まります。プリウスどころの騒ぎではないのです。
しかも、です。
普段、クルマに乗ってる人が必要に応じて自転車に乗るようになれば、
●道路が空く
んです。
つまり回り回って、クルマの性能が上がったのと同じ結果になるわけですよ。道路なんて、そうそう作れませんからね。でも、クルマのユーザーが、必要に応じて自転車にも乗るというチョイスなら、いまからすぐにでも選べる選択肢なわけです。クルマにも大きなメリットが出てくるわけですよ。
だから、トヨタは道路空間を広くする=クルマの性能を上げるという意味においても、自転車を販売する責任があるはずだと、僕なんかは思うわけです。
トヨタが自転車を作っていないのは、「当社は世界に追いついていない、田舎者の会社でございます。」と公言しているようなものです。旦那の駅へのクルマでの送り届けのムダが分ってるなら、やっぱり自転車を作らなきゃおかしいわけです。実践ができてない。口だけ。「言うだけ番長」。いちばん卑怯だ。
で、トヨタが自転車を作れば、上記のような、勝間さんの「クルマをやめて自転車に乗ればいい」というような発言が自主規制で封殺されることもなくなるわけですし、何より、トヨタが自転車推進の番組のスポンサーに浮上してくるわけです。
そのくらいの番組スポンサーになれよ!トヨタ!世界的企業と言うなら、そのくらいやれ!
とまぁ、僕は思うのです。
ネットでググると自転車乗りからは「トヨタが自転車? そんなださいのは買わないよ、俺は。」という声が多いみたいなんですけど、大きく社会構造を考えたら、トヨタが自転車を作ってない方がよっぽどおかしいのだと僕は思いますねぇ。
だって、街なかを走っていて、国内メーカーの自転車を見ることなんて、本当にまれですから。スポーツ自転車はほとんどが輸入品。ジャイアントとかルイガノとか、トレックとか。
ブリジストンやパナソニックなんて、見つける方が難しいくらいですし。
で、欲しい自転車を注文したら、輸入の船便待ちで2~3週間またされるのが普通なわけです。
それはやっぱり、どこかちょっといびつだよなぁって思う。
それもこれも、やっぱりトヨタが自転車を作ってないのがイカンのだと思うわけです。
それに、「ああ、そうか」と思ったのが、勝間和代さんの発言にある、「女性にとっての自転車のカベはメンテナンス」という話。
自転車というのは、実にシンプルな機械のかたまりで、本当に部品のちょっとした調整で調子がずいぶんと変わるんですね。だから、多少の調整はユーザーがやるのが当然というところがあるんですが、そこが女性にはしんどいわけです。走っていて、なんか変な音がしたら、もう不安で乗ってられないとかになる。
勝間和代さんなんかは、そういう部分は完全に自転車屋さんまかせなんだそうです。苦手な事はやらない。まぁ勝間さんらしい。(笑)
でも、たぶん、世間の女性のほとんどが、やっぱりメンテナンスは苦手なはずです。
なら。
トヨタ、大チャンスじゃないですか。
トヨタのお店で自転車のメンテもできるようにしてごらんなさいよ。
お客さんがどんどん自転車の調整で来店しますよ。
その頻繁な来店こそが、次のクルマ販売の重要な販売ステップになるわけです。
プリウスを飛び越えて、そういう人たちには電気自動車も売れるはずです。
なんと言っても自転車に乗る人はエコ意識が高いんだから。それはもう、すばらしい先進ユーザーがお客さまについてくれて、精緻なる市場調査ができるようにもなるはずです。
なんかね、トヨタ祭りだのなんだの、販売店にお客を呼び込む販促とか山盛りトヨタ系列のお店はやってるわけですけど、トヨタが自転車も作ったら、それこそ毎日のようにお客さんが来ますって。
自転車のメンテナンスの技術も、基礎的な事ならひと月もあれば身に付くはずです。その程度の事なら、修理工場のスタッフだけでなく、営業社員にもおぼえさせたらいいんですよ。
そういう普段の接触の多さが、必ず次のクルマの販売につながるんだから。何の問題もない。
(ザイオン効果というのがあるんです。そこを良く考えるべきだと思う。)
だから、やっぱりトヨタは自転車を作るべきだよなぁってつくづく思う。
いやまぁトヨタだけでなく、ニッサンもホンダもなんですけどね。
でもまぁ、まずトップ企業がやらなくちゃダメなんですよ、こういう事は。
任天堂が「ゲーム市場の拡大」を目指してDSやWiiを成功させたのと同じことです。
ちゃんとやれよ!トヨタ! トップ企業なんだからって事です。
それがトップの責任やねんけどなぁ。
作ってくれ!自転車を。国産でいつもメンテやサポートがしっかりしてるような製品を!
それ、欲しいよなぁ。僕はそういう自転車なら買います。
で、こういう事が進めばね、社会的な投資とかにもつながっていくはずなんですよね。
上記の自転車専用信号機みたいなものが、どんどん必要になってくる。高速道路を自転車を走らせようという話にもなってくるかもしれない。実際、上記の「自転車会議」では、高速道路の下に自動車専用道路を作ったらどうか?というアイディアが出されていました。これは雨の多い日本では、すごく良いアイディアなんですよ。雨の日の交通渋滞の緩和に大きく役立つはずですし。
そうなると、そういうさまざまな「自転車社会実現」への投資が経済効果を高めるわけですよ。なんせ、いままでやってきてなかった事なんだから。まったく新しいニーズが、
●ドッカーン
と化け物のように大きく生まれるって事です。
しかも、最初のハードルはものすごく低い。なんせ高速を造るとかの巨大投資が必要なわけではないからです。新たな社会習慣が生まれる。で、既存の道路交通網というインフラの効率がぐっと上がるわけですよ。
これは本当にすごいですよ。新しい市場整備で、いままでにまったくなかった経済があらたに生まれて活性化していくわけです。だから、本当にトヨタは自転車を作るべきだよなぁって思う。
この本では、谷垣禎一さんが地方の活性化にも自転車を利用できるのではないか?みたいな事を言っておられて、それは可能性としてあるよなぁって思うわけです。
地方だと、大型店舗が「クルマ」用に発達して、駅前の商店街がシャッター通りになってしまっているというのが大きいわけです。
しかし、駅前というのは他の都市との接点でもあるし、自転車が走りやすい環境を整えれば、駅前に、また人が集まってくるきっかけにもなるよなぁって僕は思うのです。
先日も大阪では、道頓堀の放置自転車を一斉に撤去してたんですけど、あれなんか愚策中の愚策でしてね。
あれは撤去しても、どうせまた増えるわけです。酔っぱらって歩くのがしんどくなった不埒な奴が、自転車を盗んでチョイ乗りして乗り捨てていくから、放置自転車が増えるのであって、駐輪用のチェーンロックができる固定ポストのようなものをたくさん作れば、盗難は減るわけですよ。まず最初にやらなければいけないのは、「盗難しやすい環境」の排除で、それを実現するには固定ポストを作るのがベストでしょう。で、それは放置自転車の排除作業を何度も繰り返し行う予算より、たぶんはるかに少ない予算でできるはずです。
年に12回排除作業をしてるのなら、6回に減らして、その分固定ポストを作ればいいのです。そうすれば年々放置自転車(盗難放置車)が減っていきます。確実に。
で、シャッター通りになってしまった駅前商店街も、まずは、固定ポスト方式の駐輪場の設置からやれば良いのです。
いや、いっそ有料の自転車置き場からやったらいい。有料駐輪場は儲かる、あるいは、キチンとペイするんです。駐車場を運営している会社が言ってますから。それで充分OKですよ。駐輪場があれば、人がそこまでやってくる。そこから経済が動き出すんです。だから、まずそれをやらなきゃ。
で、そういう新しい経済の流れを作ることを念頭に、トヨタのような大企業がそれを促進していかないとアカンよなぁって思うのですよ。
いままでのような「ガソリン車の新モデルへの買い換え」ではなくて「電気自動車+家族に一人一台の高機能スポーツ自転車への買い換え」という新しい価値観創造への転換をはからないと。
そういうような事をふくめて、本当にトヨタには自転車を作って欲しいよなぁって思います。
だって、誰も損せんのやから。
トヨタも得。クルマに乗る人も得。自転車に乗る人間も得。どこに問題がありますのん?
自転車を作らないトヨタは、ようするに単なるバカということですな、やっぱし。
ウクレレのおまつり2009&自転車散歩。
たまにはここでも個人的な話を書かねばと、ふと思いまして。
この土日が、例年のごとく参加している、近畿圏のウクレレ教室合同の発表会イベントでありました。
毎年参加者が増えてきて、今年はなんと400人を越す大所帯になってしまいました。
会場が小さいので、100人ずつの4回分割での催しでありまして、我々は第二部、土曜日の夕方から開演の部への参加。
とは言うものの、ここまで規模が大きくなってくると、もう、もともと全部を見ることは難しいので、参加意欲がかなり落ちておるのであります。ということで、最初から自分たちの発表が終わったら、さっさと抜けてみんなで打ち上げ(と称する飲み会)にしようという話が早々に決まっておりました。
まぁ、1部~4部まで、各部ごとのしめくくりに講師演奏というのがありまして、ここがなかなかに見所聞き所なので、それが見れないのは残念だなぁと思ってたのですが、それは早めに出かけたので1部の分を見ることができたし、問題なし。演奏終了と同時にふけるぞ!といきおいこんでおったのです。
が、しかし、問題がひとつだけ発生。
いちおうライブハウスでの開催なので、参加費は1ドリンクがついての値段ということになっておりました。でも、この1ドリンクをいつ飲むのか?というのが問題になってしまったのでした。いつもは自分たちの演奏が終わった後で、他の人の演奏を聴きながら飲んで楽しむというノリだったのですが、それができない。しかし、出場前に飲むとなると、酔っぱらって演奏するってなことになってしまう。
うーむ。と考えましたが「まぁええやん」と先飲み決定。みんなで酔っぱらって演奏ってなことになってしまったのでありました。
でもまぁ、今年は演奏の完成度は高く、(なんせ半年も前から、えんえん授業で同じ曲を丁寧に丁寧に練習し続けてきた曲なので。)演奏としては問題なし。満足感を持って演奏したのでありました。
その後は中華街へと繰りだして食事兼飲み会。えんえんと飲んで飲み過ぎの世界でありましたが。
いや、なかなか楽しかったのであります。
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で、日曜日は自転車散歩に出かけたのでありまして。
ここしばらく雨続きだったので快晴の日曜日は、実に貴重だったのですよ。もう、雲一つない快晴で、自転車で走るには最適の日でした。
まぁ、気持ちよいなんてものではないですね。
こういう日に自転車で走ると、どこへ行って走っていても、風や光が心地よいのです。
とにかく大阪市内の緑のあるところ、川沿いの自転車道などを延々と走った一日だったのですが、こうして走ってみると、意外にも知らない道や場所がたくさんあるんですねぇ。
毛馬の水門なんて、名前は知ってたけど、横を通るのははじめてでした。
で、意外に川沿いはサイクリングロードがそれなりに整備されていて、日曜日の少し長めに自転車で走る、というのには最適かも知れないですね。
やっぱり電車で走っているだけでは、なかなか行かないところもあるし、通勤で移動するだけだと、どうしても同じコースになりがちだから、時折はこういう事もした方がいいなぁ。
でもまぁ、実際にサイクリングコースを走ってみると、本当に自転車は、こういう川沿いのような、通常の「道路」から追い出されたところしか走らせてもらえないのだという事を、よりいっそう強く感じて、いまの道路行政のいびつさを、体感せざるを得ないというのが、これまたマイナス面ではあるのですが。
サイクリングコースの整備をする金があったら、街なかに自転車の公共駐輪場をたくさん作って欲しいもんだよなぁとしみじみと思います。
数日前に大阪市では道頓堀の路上駐輪している自転車を、一斉に撤去したんですが、あれは本当に愚策でありまして、バカとしか言いようがないんですよねぇ。
そんなことをせずにキチンとチェーンロックで自転車を固定できるような駐輪ポストを、公共の設備として設置すればいいんです。そうすれば撤去の人員の給料より安い値段で、この手の問題は解決するんです。
ま、この話は別アーティクルにした方が良いのでそのうち書くとして、日本の道路行政のアホくささは感じながらも、気候は大変気持ちよく、それなりに楽しく走れた一日でありました。
はい。
民主党圧勝の理由は、「金より票」という本質回帰があったから。これかなり大事。
アクセス解析を見てみると、意外にも「民主圧勝の理由」で検索してる人がちらほらいてるんですね。
前に書いた
●民主党圧勝の理由。「自民がひどかったから民主が勝った」というのは、大嘘だなぁ。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200908311845476563/が、けっこう検索でひっかかってるらしいんです。グーグルで「民主圧勝の理由」での検索で1ページ目に入ってるみたいで。
で、へぇ~と思いまして、同じ「民主圧勝の理由」で書かれている記事を読んでみると、想像してたより、他の記事の内容が浅い。あら、そうなの?という感じ。
圧勝、圧勝と言うけど、もともと「選挙区で1位の人間しか当選しない」という小選挙区制は、極端に言えば1万票と1万1票の1票差でも多い方だけが勝ってしまう選挙制度で、前回の郵政選挙の時だって「得票数で見れば僅差」と言われてたわけです。
郵政選挙って奴は郵政のものすごい金額の貯金が民営化されて、世界金融筋が運用できるようになるかも知れないって事で、かなりの金が動いた選挙だったわけですね。テレビなんか番組自体が「郵政イエスかノーか」ばっかりやってたし。巨大広告代理店がCM合戦をやって、考えのない人間を洗脳することで時局を動かそうとした選挙だった。
でも、そうやってマスコミを動かして動く投票行動というのは、実はわずかなわけです。
郵政選挙の時だって得票数では僅差だったわけで。
なので、今回の選挙だとて、もしかしたら、郵政選挙の時とおなじく「僅差で大勝」とかになってしまうかもなぁと僕は思ってたんですね。
で、あの副島隆彦さんですら「勝ちすぎは良くない」と言っておられるし、世間の風評では「民主勝ちすぎ」が定番の言い方になってるんですが、僕はそうは思ってないんですね。
これは大きなパラダイムシフトであるわけなのだし、大事なのは選挙後の実際の運営なのだから、僅差で大勝というのではなく、「国民の熱い支持があっての政権交代」という実質がなければ意味がないと思ってたわけです。そうでないと、すぐまた官僚にあやつられて、民主党が第二の自民党化するだけですから。(すでにチラホラと自民党化の傾向も見えます。)
やはり政権というものは、国民からの信任が厚いかどうかというのは、すごく重要だと思うわけですよ。選挙もせず、「禅定」で譲り受けた安倍くんなんか、ブッシュとの会談がなかなか実現しなかったし。
ところが、鳩山さんはオバマから電話がかかってきたりして、首相に選ばれて10日で会談。
扱いが違うわけですよ。それはやっぱり。
ひとえに「国民からの信任を得ているかどうか」が問われるわけです。
あのクリントンの嫁はん国務長官をごらんなさいな。民主党政権になる前には、日本に来て「自衛隊の給油活動を継続してね。」と小沢さんに申し入れて、小沢さんに蹴られて、で、西松建設みたいな事が起きたりしたわけです。それがいまでは「給油活動でなくてもいい」とか発言してる。えらい違いや。
外から見てた方がわかりやすいわけですよ。「日本を動かしてるのは官僚だ。官僚を手なづければ、この国は動かしやすい。」と、むこうの政治家はわかってるわけです。
実際、コロコロ変わる政治家と太いパイプを作るより、日本の場合はずっと変わらず政策作成をしている官僚を支配したほうが思い通りに動かしやすいわけですからな。
だから「拒否できない日本」の関岡さんがあばいたように「年次改革要望書」というような文書による日本改造計画がそのまままかり通っていたわけです。
でも、日本国民が一丸となって「ノー」と言ったら、これはもう「年次改革要望書があるから、それに沿って政策つくるのが筋でしょ」というような官僚操り策は通用せんわけですな。
だって日本は日本国民のものなんだから。肝心の国民が「イヤ!」と言ったら、それはどうしようもない。
田中宇さんなんかは、「それはアメリカが多極化を目指しているからだ、アメリカの方向が変わったんだ」とか言う話になるわけですけど、そういう難しい話かなぁ? それより何より国民全体の大きなうねりとかがあったら、よその国の人間にはどうしようもないというそういうこと何じゃないの?って僕は思う。
で、世間を見渡しても、いまだに民主圧勝の理由は、きまぐれな国民がフラフラしていた結果だ、みたいな論調が見えたりするんですけど、それは違うよなぁってつくづく思うわけです。
前回の郵政選挙だって、得票数では僅差で、まさにフラフラしていた層をとりこんだ事で「大勝」になったわけです。
しかし、今回はテレビで「政権交代がやってくる!」とかを大々的にキャンペーンしていたかというと、全然そんな事はないわけですね。やってたのは、警察のリーク情報を垂れ流しにしてただけの「のりピー事件の顛末」ばっかりだったわけです。
これは、日本の権力構造が変わってしまって官僚が「悪者扱い」される事を嫌がった警察が「警察は正義」という印象を国民に持ってもらうために、えんえん、えんえん、選挙期間中ずっと、しつこいくらいに、マスコミにリークし続けた、官僚の側の一大キャンペーンだったわけですよ。
で、この結果どうなったかというと、実は、かなりの「フラフラした層」が、自民にころんでしまったんだと、僕は見てます。
というのは、選挙前は各メディアが議席予想で「民主最大320議席、自民は100を割る危険性」と言ってたのに、実際は308:119だったわけです。
これ、かなり自民党が勝ってるよ。
いやほんとに。
この予想に関しては、かなりの新聞社が外してしまってるんです。新聞社は「外れました」などとは言いませんから、注目されず、「民主大勝!」で済ませてますけどね。
ともあれ、そういう事だから、「フラフラした層」が民主に流れたというような話は、あんまり説得力がないよなぁって思うわけです。
実際、今回自民党総裁選に出馬して、谷垣さんに破れた河野太郎さんなんかは、「今回自民党は勝ちすぎました」と言ってたらしいんですね。「は?」って思うじゃないですか。こんなにボロ負けで。
でも、そうじゃないんですよ。古手の議員が残っちゃったわけです。森元総理もそうだし、まぁ他いろいろ。もうね、古い政治家はいらんと。そういう事が言いたかったらしい。負けるなら、どっか~んと負けて、完全に世代交代が完了した方が、巻き返しもしやすいって話な訳です。
比例代表と小選挙区の二つの仕組みで選挙は行われますけど、政治家の間では、比例で勝ったところで、大きな顔はできないわけです。小選挙区で勝たないとダメ。
今回、河野太郎なんて誰も知らなかったのに、総裁候補で出てきて(出てきただけでも大したものなんですよ。推薦人20人集めたって事だから。)それで144票もなんで取ったかというと、この人は小選挙区で勝ったからです。
石破さんも自民党の中で発言力が大きくなってますが、この人も小選挙区で勝ったからです。
総裁が谷垣さんになりましたけど、この人も小選挙区で勝ったからです。くしくも、あの比例代表でやっとこひっかかってギリギリ議員として残れた小池百合子が「小選挙区で勝った人が総裁になるのよ」と言ったらしいですが、その通りなんですね。
ようは、国民の信任を得たかどうかなんです。
で。
その「信任」は、どうやって得たか?
それは河野太郎を見ればわかりやすい。
この人は駅立ちをやった。
毎日やった。
朝は「いってらっしゃい。河野太郎です。」、夕方は「おかえりなさい。河野太郎です。」
これをえんえんやり続けた。
ようはどぶ板選挙を徹底的にやったわけです。
今回自民党で生き残ってるのは、そういう、どぶ板選挙を本気でやった人だけなんです。
ようは国民の側を向いた人だけ。
ここがものすごく大事です。
郵政選挙みたいに大きなお金が絡んでるときは、マスコミを使ったマスメディア選挙で「風評で政権が動く」みたいな事もあるでしょうけど、今回のように、そういう巨額資金の取り合い合戦もみえていないと、それはもう、ひたすら「どぶ板選挙」しかないわけです。
で、前の「民主圧勝の理由。『自民がひどかったから民主が勝った』というのは、大嘘だなぁ。」でも書いたように、今回民主党が勝った理由も、河野太郎とまったく一緒なんですよ。
ひたすら「どぶ板」です。
選挙後、いろいろ雑誌やブログを読んでみたけど、やっぱり民主党議員のどぶ板が半端ではなかった。
前に書いた記事のコメントに付け加えた情報の再録になりますが、例の中田安彦さんのブログでは、「小沢は新人の候補に駅立ちを一日数十回、戸別訪問三万件をするように言っていたという。」という話が載ってました。
また、アエラによれば、愛媛の永江孝子の場合、
(引用開始)-----------------
昨秋以降、街頭演説が1300回。約30ある中学校区での集会は2巡した。
(引用終了)-----------------
という事らしい。
半端じゃないんですよ。回数が。
これを、僕はもう、8/30日の選挙の開票報道を見てた時に直観的に気付いてたわけです。
だって、民主党の議員の多くが「小泉チルドレン」とは違う、堂々たる政治家という受け答えの人が多かったからなんです。
当選してすぐの時は、コメンテーターから、ちょっと意地悪な質問とかも出ますけど、そういう質問へのあしらいの仕方が慣れてる議員とかがけっこう多かったんですね。
それはやっぱり、この「どぶ板」を山盛りやって、現場で国民からのヤジやら怒号やら痛烈なる批判やらを、えんえん浴びながらも、どぶ板をやり続けてきたからだろうと。そういう事なわけです。
前の記事にも書いたけど、ひたすら角栄さんのやり方そのままなんですよ。まさに田中角栄直系の弟子小沢一郎の指示があったからこそなわけです。
これも前の記事の繰り返しになりますが、
「民主党は、国民と顔を合わせ、その回数を重ねることで、マーケティングリサーチと、新人育成とを同時に行ったのだ。だから大勝したのだ。」
って事です。
民主党の議員の言葉の裏には、
●駅立ち一日数十回
●戸別訪問 三万件
●街頭演説1300回
●中学校区での集会30×2=60回
というような膨大な数の国民との接触回数がある。
これこそが民主大勝の、一番大きな理由で、他の理由はかなり小さいんです。
そうでなきゃ、もっと他の党に票が流れてるはずなわけです。
国民の不満を「聞く」人間がいて、そこに票が流れた、ということです。
なにより、それが一番大きな理由でしょう。
で、小選挙区制というのは、郵政選挙の時のように、そして今回のように、優勢な側が大勝することが簡単に起きる選挙制度なわけです。
それを日本人は正しく体験してしまったわけです。郵政と民主大勝と。2回の両極を見た。
一回はマスコミ主導で、二回目はどぶ板主導。
どちらにせよ、がんばった側が大勝する。
そして政権交代は可能な仕組みである。
それを学んだ。
ということは、次が民主党になるとは限らないって事です。
また自民党が大勝する可能性だっていくらでもある。
民主党が政権運営を失敗したら、「自民党にやらせろ」ってなる。
それは、国民の側が本気でそう思ったら、そうなるって事です。(思わせたら、かな?)
それを国民の側が学んだって事が、今回の選挙では一番大きかったのではないか?という気がします。
まぁ本当の事を言うと、小沢さんが農協に頼らずに農家に個別補償しますよと言ったり、子ども手当だしますよと言ったりした「国民へのバラマキ政策」が、すごく支持されたというのは大きいんですけどね。直接バラマキが組織票を崩したっていうのはある。
あと、あんまり公明党が自民党と長く付き合って、宗教政党が本来受け持つべきだった「平和の党」としての役割が果たせず、他の宗教団体が不満に感じだしたっていうのもけっこう大きいわけですが。立正校正会が自民党応援に回らなかったとか、そういうのが大きいって言うのもある。
あと稲森さんも民主応援だったし。稲森さんの下には中小企業がごちゃまんと付いてますからねぇ。もの凄い数やから。
それと、大阪の橋本府知事が民主支持を表明したのも、少なくとも大阪では大きかったんじゃないかなぁ。
そういうキーパーソンが、心情的に民主に傾いたというのはかなり大きかったでしょう。
日本は本当に「組織票」の世界ですから。実は「フラフラした層」の動きは、それほど大きくはないわけです。そういうキーパーソンを小沢さんがからめ手で直接落としていったというのも理由としては大きいでしょう。
しかし、それでもやっぱり、一番大きい理由は、「どぶ板」ですわ。
それが今回の選挙では、一番大きかった。
なんか、副島隆彦さんの学問道場の有料会員向けのページに書かれてたんですが、昔は小沢さんは、議員に金をばらまいて選挙運動をしてたんだそうですよ。その資金調達こそが、彼の「剛腕」の源泉だったらしいんですね。
でも、ある時から、そういう金を配るというのをやめて、議員には「地盤を配る」に変更したんだそうです。「この地域はお前にやる。自分で刈り取れ。」という事らしいですね。
で、よくよく考えてみたら、金をいくらもらったところで票にならなかったらうれしくもなんともないわけですよ。金をもらうより票が欲しい。それが政治家でしょう。それが本質なんだから。「小選挙区で勝った人が総裁になるのよ」という小池百合子のセリフこそが真実なわけです。
金より票だ。
時代が変わるとか、世の中が動くとか言う時は、やっぱり「金より票」なわけですよ。
金を取りに行くのではなく票を取りに行く。
そういう姿勢を持つか持たないかこそが運命を分けたって事じゃないですかね。
まさに本質回帰でしょう。
で、小沢さんは地盤だけ渡して「票は自分で刈り取れ。駅立ち一日数十回。戸別訪問3万軒。それをやれ。」と言ったわけです。つまりは票を取る取り方だけ教えた。(+国民へのバラマキ戦略なんだけど。)
こういう部分をマスコミはあんまり言わない感じがすごくある。新聞にせよ、テレビにせよ、「小沢チルドレン・小沢ガールズで、小沢の力が増す」という話ばっかり。
いやー、それも違うでしょって思うんですよね。
地元回りをしたのは小沢さんじゃなくて、各議員なわけですよ。票を握ったのは、各議員なんですよ。で、票さえ取ったら、議員は強いんですよ。「小選挙区で勝った人が総裁になるのよ」という小池百合子のセリフがすべて。
だから、今後大変なのは、小沢チルドレンvs小沢一郎なんですよ。国民の信任を得た議員なんて、古手議員の言う事なんて、そうそう聞かないですよ。河野太郎を見よ、ってことです。票さえ手に入れたら、こっちのもんだって事で。もちろん小泉さんみたいに党内で刺客を立てるとか、そういう「党の動き」ってことでは小沢さんが剛腕をふるうでしょうけど、もうすでに衆議院戦をかいくぐってきた個別の議員や小沢ガールズは、国民を背負ってるって思ってるからねぇ。いくら小沢さんでも筋が通ってなかったりしたら反感を持つはずだし、たぶん、「国民の信任」を背景に党の支配層=小沢さんを批判することになるはずです。
(なんでこういう、当たり前のダイナミクスを、いまのマスコミは読めないのか?本当にマスコミの質が下がってると情けなく思いますな。見た目の女子アナばっかりちやほやするからアカンのやと思う。)
やっぱりだから、「どぶ板」で国民の顔をとにかく見る。それが本質回帰で一番重要な事だし、今回の選挙での民主党大勝の一番の理由でもあるって事です。
いまは、その本質回帰を、本当に自民党にやってもらいたい。
正しい批判勢力が育たないと、それこそ民主党が、また官僚にあやつられるような事になっておしまいなんだし。
がんばれ自民党って思う。谷垣さんは自転車乗りやし。(関係ないか。)
いやほんま自民党の再生がいまの日本の命運を握ってるんやけど。
はたしてどうなりますことか。
自転車と農作業。
タイトルはえらく牧歌的ですが。
実は内容は「スポーツについて」という話です。
いや、わたしね、正直、多分、スポーツ音痴なんだと思うのですよ。
なにがスポーツ音痴かというと、
●スポーツ自体が好きではない。
のですね。
どうにも好かん。
友人にテニスをやってる奴とかもいてて、スポーツファンというのがいてるのもわかるのですが、それでもやっぱり、スポーツというもの自体が、どうにも怪しげでおかしなものに思えて仕方ないんですよ。
まぁ確かにテニスにせよ、サッカーにせよ、野球にせよ、そういう点数を競う競技が、点数を取る、勝ち負けを競うというのが面白いというのは、まぁわかるんですけど、でも、たかが点数やん、それがどうした? という気にしかなれないわけです。
自分が成長したとか言うのなら、まぁ面白みもあるけど、なんか勝ち負けのためにやるって幼稚というか、子供っぽいというか、実はあんまり面白いと思わないんですよね。
なんで、点数にために体をヘトヘトになるまで動かしたりするんやろ? 頭おかしいんと違うか?って思ってしまう。
って言うか、はっきり言って、頭がおかしいんだろうというのが僕の結論なんですけども。(笑)
っていうのはですね、昔、山の中の段々畑を借りて、趣味で農作物を作っていた時期があったんですよ。けっこう広い面積を借りていたので、山の下から上まで上るだけで一、二分はかかるくらいの距離なんですね。
段々畑ですから、ちょっと鎌やスキ・クワとかの農具を取りに戻るだけでも、そこいらの駅の階段を何度も上り下りするような負荷がかかっていたわけです。
でね。
こういう体の動かし方っていうのは、体を動かしているという意識がまったくないわけです。
まず「目的」がありますから。
自分の目的があって、それを達成するために体を動かしているわけです。ここがスポーツとは違う。まったく違うポイントなんです。
やりたいことがあって、それをやっていたら、結果として体も動かしていた、ということですね。
体を動かす、というのは、本来そういうもののはずなわけですよ。
さっき「スポーツしてるというのは、頭がどこかおかしい。」と書いたのは、ここなんです。道具を取りに坂道を上るというような、目的が明確で、そのために体を動かしている作業は、通常「スポーツ」とは呼びませんからな。頭は目的のために使ってるわけです。
スポーツというのは、頭をスポーツのために使っている。
ここがおかしいわけです。
意識と行動のズレがあるというのが、本来かなりおかしいって思うわけですよ。
なので、その極端な例が「ボディビル」ということになるのかなぁって思うわけです。あれはもう、あくまで見せるための筋肉で、モノを持ち上げたり運んだりするための筋肉ではないですからなぁ。
いやまぁ、実際、現代社会というのは、徹底して体の動きを低減させるように仕組みができてしまってますから、「健康のためにスポーツをする」ということを、どこかで取り入れるしかないわけですね。これはもう、どうしてもしょうがない。
でも、本来「スポーツするために体を動かす」というのは人間本来のあり方として、どこかやっぱり「おかしい」と思っていることが、とても大事だよなぁと、僕は思っているのです。
●目的を持たない運動は、精神がおかしくなる。
というのが、僕の偽らざる気持ちなわけです。
スポーツ、スポーツと言うけれど、やっぱり僕は、スポーツと聞くと、まず「スポーツ障害」というのをイメージするんですよね。
荷物を運ぶために筋肉が太くなるのと、テニスでラケットを振って筋肉が太くなるのとでは、やっぱりそれは正常と異常の差が、必ずあると思ってるわけです。
だって、あんなラケットを振る作業なんて、そんなもの、日常生活に必要あるわけないじゃないですか。
で、しかも目的が「勝ち負け」なんだから、やっぱりどこかでちょっと無理したりとか、ついしがちになってしまうのが当然だと思うわけですよ。
だから、どんなスポーツをやっても、僕の場合は、農作業をやってた時の「合目的感」という気持ちよさを思い出して、いまいちスキッとした気分になれないんですね。
農作業をしている時の気持ちよさは、スポーツと違って、頭の論理構造が気持ち良いって事なんです。この気持ちよさはスポーツにはない。残念ながら存在しません。「スポーツ」では無理です。スポーツしかやってない人は、この心身一如の気持ちよさを知らないんだろうなぁ、不幸な話よなぁと思ってしまうんですね。
で、です。
そういうことを考え合わせると、現代社会で合目的的に、無理なく運動するとなると、「通勤における徒歩」というのが、非常に重要になるわけです。
歩く、というのは、目的がありますからね。
どこへ行くのかという、自分の頭の中の合目的感があって、その欲求に沿って動く。歩く。
だから精神構造として健康で、快適で、すっきりするんです。
なので、ずっと歩くことを大切にして、エレベーターより階段、エスカレーターを使わずに階段、時間があるなら一駅程度は電車に乗らずに徒歩。打合せがあれば、ちょっと早めに出て歩く。とかをやってたわけです。
これを、たとえばジョギングをするとかマラソンをするとかしたとたんに、「運動のための運動」ということになるわけですね。目的が空虚化する。運動が生活とか自然の行いとか普段のふるまいから離れてしまう。
それは、僕に言わせると、一直線に「キチガイ」への道だと思ってるんです。
いや、言い方は極端なんですけど、大きくはそういう事だと思う。
スポーツ障害だって、ようは「生活」とか「目的」から外れてしまった、暴走の結果です。
それはやっぱりおかしな事だよなぁって思うのですね。
雑草を刈り取らないと目的の作物が育たないし、そのためにしゃがんで鎌で草を刈る。この行為をスポーツにしようと思えばできるんでしょうけど、そんな事しておもろいか?っちゅう話なんですよ。
なので、どうにもスポーツというもの自体が好きになれなくて、なかなか何かをやる気にはなれなかったんですが、やっと「合目的」でありながら「運動」にもなるもの、が見つかったのが自転車だったわけです。
自転車は通勤に使いますし、行きたい場所への移動に使います。
つねに、まず自分の「目的」という精神の健康があった上に、「手段としての運動」があるわけですね。
だから良いのです。
無理がない。
心に無理がないのです。
ストレスがない。
フリー。
気持ちがいい。
最高。
そういう事です。
去年の夏とか、歩くだけでは、ちょっと運動量が足りないかなぁと思って、一時期プールに通ってた時期もあったんですがね。
あの、わざわざプールに行くという行為がすでにもう病気な気がして、私には無理でしたなぁ。アホくさくて、とてもやないけど続ける気になれない。
さてどうしたものか?と思ってたところに、スポーツ自転車、というか、世界標準のちゃんとした自転車の豊かな世界を知った、ということなわけです。
テニスも野球も、筋トレも、ジョギングもマラソンもボディビルも、サッカーも、まぁたいていのスポーツが、まともな精神の人間がやるものではないと、ここで断じてしまうのです。
え? 言い過ぎやって?
いやー、そうは思わないのですよ。農作業の「まともさ」を知ってると。いや、ほんとに。
点数とか数値のために体を動かすってのは、やっぱり異常ですわ。
本当にスポーツが好きな人は、でも実は、その「異常さ」はわかってるんですよね。
プロのアスリートの場合は、いかに効果的に点数を得るか?のために緻密な訓練を組み立てているのだから(しかも、かなり個別に特殊なプログラムを。)その「合目的性」は正しく理解してますし、ゆっくり休むことをも含めて、とても効率的にトレーニングをしているわけです。
問題は、わかってない一般の素人なわけです。
聞きかじりの思いつき、気分と雰囲気でスポーツしている一般人。
これがおかしいんだと思う。
そこに「合目的」というのはないんですよね。
数字だけをおいかけていたり、カッコや雰囲気だけを求めていたり、すっきりしない。
まぁ、現代においては、どうしたって運動不足になってしまうわけだから、どこかでそういう「異常な行為」というのをやらざるを得ないのはしょうがないんですけど、やっぱりそこは、そういう運動が「異常なのだ」という意識は持ってないとアカンよなぁって思うんですね。
で、付け加えて言うと、スポーツをするというのは、本来異常な行為なんだから、やっぱりまともな「コーチ」を付けてやるべきだって事なんですね。
これはウクレレを習いに行ってよく分かりましたけど、やっぱり学校の先生はプロです。ひとりひとりの目的と実力と楽しさのバランスをよ~く勘案して、最適の課題を出してくださる。
ちょっとしんどいかな?と思える課題でも「あなたの現状の実力なら大丈夫」とかなり難しい課題を出すかと思えば、「え?こんな簡単なことを何度もさせるの?」という事を嫌というほど何度もさせたりします。
でも、それが実に良いバランスなわけですね。
自分で仕事とは関係ない「運動」を自分で設定してしまうと、基準値がなくて、どこまでも暴走する危険とつねに隣り合わせなのが、実は「スポーツ」というもので、そこを客観視して暴走を防ぎ、効率的に「目的」に導いてくれるのがトレーナーだなぁと思うのです。
前に、少しだけ
●仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344980867という本を紹介しましたけど、この本ではそういう、筋トレに関する「個人トレーナー」の必要性を説いていて、そういう意味で「とても良い本だなぁ」と思ったんですね。
いま、自転車だと下半身だけしか運動できないので、筋トレも始めようかなぁとも思ってるんですが、やるとしたら、やっぱり個人トレーナーをつけてやらないといけないなぁって思っております。
で、現代社会においては、スポーツってものは「やらざるを得ないもの」になってきてるんだから、精神異常にならないためにも、やっぱり個人トレーナーに付いて積み重ねるというのが一番いいだろうなぁって考えてるんですね。
それは別に超有名な俳優が肉体改造をするような特殊なトレーニングではなくて、それこそ「どういう目的で運動されたいのですか?」というコンサルテーションから始まって、具体的な身体能力や心肺能力の測定まで含めて、適切で、やっていて楽しいメニューを紹介してもらう、というような事ですね。
(このあたりのメニューの豊富さ、組み立てこそがトレーナーの腕でしょうね。ウクレレを習いにいってても、いまの先生は、メンバーの実力を見てアレンジ譜を書いてくださるのですが、それが実に適切なわけです。そういう事がとても大事だと思う。)
こういう具合にノウハウを確かに持ったトレーナー、コーチがいてるなら、スポーツもやっても良いと思うのですよ。つねに「合目的」から外れることがないし、おもしろくもないメニューとか、あるいは自分にとって効果の少ないメニューを無駄に行うとか、そのメニューを考えるために無駄に時間を使うとかがない。すごく大事なポイントだろうと思うのです。
で、また自転車の話に戻るのですが、実は自転車には、このトレーナーのいてない状態での暴走とか、「異常」っていうのが少ないわけです。
だってもともと、「移動の道具である」という、合目的性があるからですね。
自分の行為が、「浮く」「空回りする」って事が少ない。
それはそれは、ものすごく少ない。
ここがすごく良いのです。
自転車は、そこの部分で脳みそがおかしなモードにならないのが良いよなぁってつくづく思うのです。いつも「自分の自然な望み(移動の必要性)」と寄り添った行為として運動がある。
そこがいいよなぁ。
ほんとうに。
考える頭が、まともに動いている。
考える頭が、「スポーツのためのスポーツ」に侵されていない。
どの瞬間でも、いつも「どこに行こうか?」という自分への根源的で自然な問いかけと一緒に連れ立って動ける。
その自然さと気持ちよさこそが自転車の本当の素晴らしさなんですね。
それが実は自転車の、一番の魅力なんだと思うのです。
まぁ、ちょっとお洒落に言うなら「頭のために良いスポーツ」とでも言いますかね。
いやほんと。自転車。よろしおまっせ。
高速道路の無料化は、世間では58%が評価しないと言うのだけれど、僕は「いいなぁ」と思いました。
高速道路の無料化が、あまり評価されてないので、なんでかな?とちょっと調べてみたら、いろいろわかったことがあります。
単純化して書くとこうなります。
●A点からB点の移動。
>>>いままで
高速:90分で移動
一般:120分で移動
時間差を金で買っていた。
>>>無料化後
高速:110分で移動
一般:110分で移動
時間もお金も均衡するところで止る。
ということだそうです。
で、これ、みんな「高速90分が110分になるんなら無意味!」と反対してるわけですな。
けど、僕は自転車乗りですからな。一般道が120分から110分に短くなるというところを高く評価しますけど。
台数で言うと、
>>>いままで
高速:1200台
一般:450台
だったのが、
>>>無料化後
高速:1300台
一般:350台
になるよ、というようなことだそうです。
ええやん!
一般道が空く!
素晴らしい!
自転車で走りやすい街になる!
最高!
やっぱりね、概ねの総論として、「自動車は自動車専用道を走る」のが本筋ですよ。だから無料化は正しいと思う。
一般道が空いたら、都市部での年寄りや子どもに優しい街になりますがな。その方がええと思うけどなぁ。
高速が混んでブーブー文句言う人は、車から降りなさいって。電車を使えばよろしい。
高速は概ね物流に使うべきです。
そんなもんね、道幅は一定なんやねんから、車が増えたら混むがな。当たり前。
みんな車に乗らないようにすればいいんです。
自転車に乗りなさい!
で、高速を無料化したら「そうか、私が車から降りるしか他に選択肢がなかったんか」とか、「あれ?自転車と公共交通だけで、相当に便利じゃん?」って気付くことの方が重要ですよ。
CO2削減25%なんやし、みんな車から降りましょう。一般道が空くんだし、自転車で走った方が快適だぞ。
田舎でもこれは同じだと思う。都市部だけの事じゃないと思う。
だいたい田舎でも通勤で車を使ってる人は15分とか20分くらいの道のりを自動車移動とか多いんですよね。車で30分以上のところから通うというのは少ない。
それは自転車で代用可能です。車で15分なら自転車で30分かかりません。それで体に良いのだから、どんどん自転車に乗り換えましょう。
車は「雨の日・買い物専用」にすればよろしい。充分置き換え可能です。
まぁ坂道がちょっと辛いけどねぇ。でも山越えしてまで通勤してるような人が果たしてどれだけいてるのか?って思う。
で、そういう人は無料の高速を使えば良いわけですよ。
自転車の使う空間は自動車の7分の1以下なんですよね。
上記の計算で100台分の車が一般道で減ったとしたら、700人以上の人間が自転車で移動できることになります。通勤での自家用車なんて、まぁたいてい1人しか乗ってないし。ムダの極みですよ。
車通勤なんていらん。
そういう事。
あとは公共交通網を充実させるべきやねんけどなぁ。
田舎のバスとか高すぎるよなぁ。
あれはどうしたらよいのか?よーわからんけど。
とにかく年寄りに車運転させるとかは危ないからよろしくない。
で、年寄りにも移動の自由を満喫させてやるには公共交通網の充実が大切なのですよ。
みんなが車に乗らずにバスや路面電車に乗るような施策をどんどん進めないといけないんですがねぇ。
どうやれば良いかは良く分からんです。
でも、とにかく、一般道が空くなら賛成。世間の58%がブータレてても、僕は賛成。
そういうことです。
ScanSnap-S1500(スキャンスナップ):ツイストリングノートはドキュメントスキャナと相性が良い。
写真1を見る今日もまた、わかる人にはタイトルを読んだらすべてわかってしまうような話。
えーと、ドキュメントスキャナというものがあります。こういうものですな。
■富士通:ScanSnap (スキャンスナップ)
http://scansnap.fujitsu.com/jp/product/s1500/■キャノン:ドキュメントスキャナ
http://cweb.canon.jp/imageformula/lineup/dr/dr-2510c-2010c/■コクヨ:キャミナックス
http://www.kokuyo-st.co.jp/stationery/kws/caminacs.htmlこれらはみな、
●書類を複数枚自動的にフィードして、表面・裏面ともにスキャニングする。
装置でして、書類のデジタル化に興味のある方には注目の品です。
で、僕は前からスキャンスナップが欲しかったので買ったんですが、
ScanSnap-S1500
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/B001QXCZ12この手のドキュメントスキャナって、
●本や綴じノートのスキャニングには向かない
という大問題がありまして、綴じノートを使ってた僕は、いま流行のスキャプリ(スキャナー一体型プリンタ)を買って事務所の机の上に置いてスキャニングしてたんですね。(オートシートフィーダー[自動紙送り機]付き)
スキャプリは、いまや1万円くらいで売ってる機種もあるくらいなので(インクで稼ぐから本体は安くても良いのです。)実用性は高く、それはもう、大変満足しておったのですよ。
前は、FAXが仕事の道具として必須だったのですが、いまではそれが、完全にスキャプリに置き換えられておりまして、広告のレイアウトをまとめた手書きの下書き(業界用語で「サムネイル」と言います。)なんかもひょいひょいと送れる。なくてはならない道具になっておるんですね。
でも、いかんせん、いくらオートシートフィーダーがついていても、やっぱり読み取り速度は遅いし、本とか綴じノートは、どうしても1見開きごとにスキャンするしかなくて、いまいち利便性が高くないのです。
で、スキャプリを使っていて実感したのは、「印刷物とWORDなどのデジタル文書の一括管理」とか「印刷物の文字をテキスト読み取りしたい」とかの世間の一般的な印刷物読み取りニーズとは随分違う世界になってしまうんですが、
●手書き情報をスキャニングして読み込むと、かなり便利。
という事なんです。
上に書いた、「手書きの広告レイアウトの下書き」なんてものが代表例ですが、そういう手書きの情報って1次情報なので、誰かに伝える意味はけっこう大きくて、PDFにしておけば、メール添付で送信できるし、複写するのもラクだし、保存して読み直す場合にもいろいろ便利なわけです。意外に便利、なんですね。
で、どうも、この「手書き情報のデジタル化」の利便性が、かなり高いぞと分ってきたこともあって、実は綴じノートからバインダーノートである「ツイストリングノート」に乗り換えたという部分もあるんですね。
リフィル形式だと、それこそオートシートフィーダーでまとめて読み取れるから便利なんですよ。見開きで一枚ずつスキャニングする必要がないわけです。
で、一度デジタル化してしまえば、あとはいかようにでも編集自在なんですよね。
ノートとかメモというのは、基本的に「忘れないように、読み返すために取る」ものですから、もともと再読したいものなわけです。
で、通常、仕事の打合せのメモとかは、せいぜい1~2ヶ月くらい紙で残しておけばそれで充分なんですけど、長期にわたって書きためたり、自分の考えなどを繰り返し読み直して固めていくという作業をしたい内容などは、デジタル化してしまった方が得なんですね。ときおり読み直したいというような長期スパンのメモを再読するのに便利だなぁと思うのです。まぁ、このあたりは、個人的な欲求で、一般的ではないでしょうけど。
で、そういう手書き情報をデジタル化すると、
●物理的空間がいらない。(何冊もノートを持ち歩かなくて済む)
●紙の表・裏に書いた情報を気にせず閲覧できる。
●ページの組み替え・複写が簡単
●フォルダ等での管理がしやすい
というようなメリットが生まれてくるわけです。
こうすると、綴じノートだとバラバラになっていたり、バインダー形式でも表裏の関係で読みにくくなっていた手書き情報が、キチンとしたひとまとまりになりまして、紙特有の、「読みにくさ」「扱いにくさ」の解消にもつながるんですね。
こういうことを前提にした紙のノートで、
●マルマン:ニーモシネ
http://www.e-maruman.co.jp/products/notebook/mnysn/なんてものも出てきてます。
このノートの場合はミシン目が入っていて、ピッと破ってシート単位で情報カードのように扱って、で、すぐにスキャニングしてしまう、という考え方であるようです。
まぁ、そういうやり方でも良いのかも知れないんですが、やっぱり「紙での閲覧」という部分がニーモシネだと弱いんですよね。ページを組み替えると、紙をちぎってシート状のまま持ち歩くとかになるし。シートにしちゃうと読まなくなるんだよなぁ。いやホント。大事なのは「再読」なんです。それをしないと、あまり意味がない。
ツイストリングノートだと、普段使いは、完全に普通のリングノートでして、何の問題もなく、リングノートとして使えばいいわけです。不要なノートは外してしまってもいいし、ページの組み替えもニーモシネと違ってページめくりできる形で気軽に行えます。
で、デジタル化した手書き情報も、PC上で再編集して整理して読みやすくした後に、手書き情報のまま(テキスト入力とかはしなくても良いのです。読みなおすだけだから。)、また紙にプリントして持ち歩いても良いと、僕は思ってるんです。
で、ここまで書いて、やっと「ツイストリングノートはドキュメントスキャナと相性が良い」という話にたどりつくわけであります。
プリントしたデータを、またリングにまとめて読み返すのにも、リングノートは便利なわけです。読み直しに便利な道具なんですね。リングノートは。半分に折れるし。そこが良いところです。
メモする。
↓
たまったメモをデジタル編集する。
↓
リングノートにまとめて読み直す。
というサイクルができあがるわけで、こういう側面で、ツイストリングノート+ドキュメントスキャナの組み合わせが生きてくるというわけです。
ということで、実はスキャンスナップを数週間前に買ったんですよ、はい。
で、いま、いろいろとスキャンし始めたところなんですね。
そうすると、実はこれ、かなり便利で。
持ち歩き用のノートパソコンに、いままでのノートが全部画像データで入れられるし。
活用法はまたそのうち書きますが、いやー、これは良いなぁと思っておるところであります。
あ、iPhoneを持ってる人なら、iPhoneで資料管理とかも出来てしまうから、よりいっそう便利でしょうな。僕は持ってないけど。
この話は、また書きますが、ともあれ、ツイストリングノートだと、リフィル一枚ずつが気軽にドキュメントスキャナに読み込めるので、デジタル化するにも、かなり相性が良いのです。
そのくせ、普通のリングノートとして使えるし。かな~り便利でお気に入りなのであります。
まぁ、このあたり、書き出すとドンドン長くなるので、今日はここまで。
まぁそんなことで。
ではでは。
関連記事--------------------------------------
■抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768■ツイストリング・ノート、その後。http://hitoyomi.diarynote.jp/200907130854311462/■ツイストリングノート:用紙を八折りにして持ち歩く。http://hitoyomi.diarynote.jp/200909050152412990/■ツイストリング・ノートやシステム手帳のインデックスには、マスキングテープが便利。http://hitoyomi.diarynote.jp/200907151040088991/■ツイストリングノートを半分折りにしたB5の横幅は、手帳の見開きサイズとあまり変わらない。http://hitoyomi.diarynote.jp/200907290827471613/----------------
■ノートは再読することが大事。(書評:脳を「見える化」する思考ノート)http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/■モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/■予備校に行くのではなく、授業をちゃんとノートすることが人生では大切だ。
(書評:東大合格生のノートはかならず美しい)http://hitoyomi.diarynote.jp/200810281406446294/穴の空いてないバケツなどないのだ。だから、大切な事は水を足し続ける事だ。
今日の日記は、ほぼタイトルのみ。
なんとなく、そういう事を思う日々です。
人間関係であれ、政治であれ、それこそ僕の好きな文具活用であれ、完璧なことなどなく、漏れのない仕組みなんかは存在しないということですね。
だから、「穴が空いてるから水も汲めない」と思うのではなく、「穴があいてるかも知れないから、とにかくどんどん水を汲め」と考える事だと思う。
必要なのは水であって、水が手に入ればいいのだ。
もちろん、穴は小さい方がいいし、ダダ漏れでは徒労感も高い。
どの穴が一番大きくて、どれを最優先でふさがないといけないか?と言うことも考えなくちゃ行けません。
でもね、とどのつまりは、水を汲むということをしないといけないって事です。
経済の問題なら、まず自分が稼ぐ。あるいはムダ使いをしない。
愛情の問題なら、まず自分が愛情を与える。もらう事を後回しにする。
文具の話なら、まずアイディアを考えたり、自分の考えを言葉にしてみるなどの作業をする。
そういう「真水」こそが大事なのであって、バケツの話ばっかりしていてもしょうがないんだよなぁって思います。
●なぜ間違ってしまったのか?
を考えるより、
●どうすればうまく行くのか?
を優先した方が、やっぱりどうも、何事にせよ、うまく行くようです。
多分、「どうすればうまく行くのか?」という設問の中には「なぜ間違ってしまったのか?」という設問が含まれているからでしょうね。
大は小を兼ねる。と言う奴です。(使い方、おかしくないか?:笑)
なにをして「うまく行った」とするかは人それぞれでしょうけれど、ともかくまずは、「どうすればうまく行くか?」を考えるというのが、概ねは幸せにつながる考え方であるように思いますね。
なんか、最近は、そういう事をよく思います。
みなさまが幸せでありますように。(当然、僕自身の幸せも含みます。)
ではでは。
「子ども手当」は増税だけど支持します。だけど消費税は一律で考えなしだから廃止してくれ。
子ども手当は配偶者控除がなくなるから、子どものいない家庭や、すでに子どもが高校生以上になっている家庭では増税になるわけです。
で、いろいろ意見を聞いてみると、増税になる家庭の人も、実は、それは分った上で「子ども手当は良いのじゃないか?」と言ってる人がけっこういてます。
なんでそうなるのか?というと、
(1)同じバラマキでも「国民全員にバラマキ」
だからでしょう。特定の業界にばらまいてきた、いままでのバラマキとはちょっと違う。なおかつ、増税になる人も反対しないというのは、
(2)人口増加はGDP増加に直結する
からでしょう。日本のGDPが下がっているのは、いろいろな理由がありますが、人口縮小経済に突入しているという側面がかなり大きいのは事実です。だから、これが根本問題の解決につながるかも知れないと思うから支持するという人がけっこういてます。
で、こういう事を見ていて、ふと気付いたのが「我々国民だとて、まともな増税策なら反対はしないのだよな」という事です。配偶者控除に児童手当がなくなるわけだから、かなりの増税と考えても良いはずです。
でも、けっこう子育ての終わった年寄り夫婦とかが「まぁ、それは良いのではないか。」と暖かい目で見てます。
それはやはり、税金で金を取られても、それがどこにどう役立つのかがはっきり見えるからでしょうね。
いわば、お店に出かけて、安くて機能の低い商品と、高くて高機能の商品がならんでいて、高機能な商品は値段が高いと、はっきりとわかるからでしょう。
で、そういう事を考え合わせていくと、どうにも消費税というのが「おかしな存在」に思えて仕方ないわけです。
いったい何のために徴収されている税金なのかがはっきりしない。なんだか知らないけれどもドッカンドッカン取られる。なのに、自民党も民主党も「いずれ上げる」と、こう来る。
鳩山さんとて、「4年間の凍結はするが、いずれかの時には消費税上げも考えねばならない」とか言ってる。
いやー、それは納得でけへんなぁ。
だって、子どもが増えるということは、そこで消費が増えるということですよ? それも、半端な増え方ではありません。死ぬまでずっと消費するわけです。ということは、子どもが1人増えただけで、
(3)必ず消費税の自然増収もある。
ということです。
だから、子ども手当を本当に導入するのなら、その子どもが死ぬまでの期間、約80年~100年は「子ども手当による増税効果」が効くはずなわけですよ。
(4)子ども手当による増税効果は80年~100年である。
なら、消費税上げなんか必要ないやんけ。
逆に消費税の減額、あるいは廃止を考えても良いはずでしょう。
子どもが増えるというのは、そのくらいの大きな経済効果のはずです。
だから、子ども手当をする限りは、消費税上げなど、言えないのですよ。
このあたり、誰か試算してくれんかなぁ。税の自然増収。かなり大きいはずやねんけど。
どのくらい新生児が増えたかが分れば、それだけで税の自然増収がパッと出るはずですからな。
そしたら消費税なんかいらんやんけ。っちゅう話です。
だいたい、消費税がこれほど一般庶民から嫌われるのは、やっぱり「なんでも一律」というところに、「しっかり考えた跡がない」という部分なのだと思うのですよ。
なんか官僚が、「不景気になっても、わしらの給料だけは減らないようにする方法はないか?」と考え出した、トンデモ税法としか思えない。
というか、ただそれだけの存在ですな。正直。
ちなみに、この「100年に一度の大不況」時では、各種税収は軒並み下がってますが、消費税だけは総税額が増えたそうです。
なんやと!そんな理不尽な仕組みが、そのままでええと思ってるのか! っちゅうことですな。
「子ども手当」のような「個別課題を解決するために増税を含む政策を実行する」ということなら、いくらでも国民は協力するけど、「不景気の時でも公務員の給料下げがないようにする消費税」などという、「考えなし」「政策なし」の税金は、払いたくなくなるということです。
細川政権の時だって、結局は「国民福祉税の導入」の一言で政権が潰れたんだし、本当に民主党には消費税上げには注意してもらいたいです。
●子ども手当は増税だが、支持された。だから消費税は減額あるいは廃止すべき。
なんですよ。
もし、世の中が不況になって公務員の給料が払えないような状況になったら、その時に対策を考えたらよろしい。(当然、官僚の首切り・リストラという選択肢を含みます。そのくらいのリスクは負えよ、官僚ども。おまえらも日本人なんやから。わかってんの?)
結局、
消費税というのは、「現実問題に対する税による解決策」をスポイルしてしまうことだから、税の仕組みとして間違っているのではないか? と僕には思えてきましたね。
まぁ国家運営を安定させるための目的税という意味はあるでしょうから、ほんのわずかならあっても良いのかもしれませんが、消費税でおおまかに国家財政のあらかたがまかなえる、てなことになったら、それこそ官僚も政治家も、何も考えなくなりますがな。
税の仕組みによって国家の問題を解決していく。
なんてことは、政治の根本課題じゃないですか。
企業で言えば、商品開発して、それをいくらで売り出せばヒットするか?とかそういう話でしょう。
それを消費税に頼るということは、すべての商品が一律100円の100円ショップと同じ事ですから、世の中に100円ショップしか存在しないような、そういうアンバランスな発想にしかならないわけですよ。
そうではなくて、
●しっかり税収の仕組みを考えないと、公務員の給料が減ってしまう。
というような状況こそを作らないと、官僚も政治家もさぼってしまうだけでしょう。
なので、消費税はアカンよなぁってつくづく思ったのであります。官僚や政治家をダメにする税制やね。いやほんまに。これは廃止すべきやと思うわ。
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それと、子ども手当ですが、「子どもを作らない夫婦」は、まぁ自分の選択だから増税は良いとしても、「子どもができない夫婦」にとっては不公平感のかなり強い税制だと思うのですよ。
だから、子ども手当を導入するなら、平行して養子縁組に関する仕組みの強化もすべきだと思うんですよね。
なにより母体保護法(昔の優生保護法です。)を変更して、ここに子育て手当を10か月投入できないかを考えて欲しいですな。子どもが生まれるまでの10ヶ月を国が保証し(あるいは、子どもが欲しいと思っている夫婦が小額でもいいから援助するとか)そこで産まれた子供を養子縁組するような仕組みですな。そういうのを作った方が良いのではないか?って思う。
いま、生涯出産率が低いとか言われてますけど、いまだに母体保護法を前提とした堕胎が普通に行われてるわけです。産婦人科のホームページなんかを見てみれば、そのあたりすぐにわかりますよ。基本は母体保護法では、「母胎に危険がともなうような場合、母胎保護のために堕胎も仕方なし。」という事で堕胎が認められているわけです。でも、これを拡大解釈して、「親が生活苦に陥るから堕胎」になってるわけですね。
で、産婦人科などのホームページでは「断っても、そういう人は他の産婦人科で堕胎をします。それくらいなら、うちで安全にやるほうがより良いと考えます。」というスタンスなわけです。
この部分をほったらかしにしておいて、生涯出産率がうんたら言うのも、かなりおかしいと思うんですよね。
で、それとは別に「子どもは欲しいがなかなかできない」という夫婦もけっこうたくさんいてますし。
ただ、この問題、実は、女性が「自分のお腹を痛めたわけではない子どもを自分の子どもとは思えない」という、けっこう根深い問題があるんですよ。
日本の社会は母系社会でして、けっこう女性の実感を大事にした社会の仕組みになってるんです。
欧米だと、父性社会なので、父親になるに際して別に腹を痛めるわけでもない男の側の意見が大きく影響するわけです。「子どもに罪はない。自分の子として育てよう。」と考えて、それで納得できるのは男ですからな。女性は、ここが納得できにくい。
だから、子ども手当の不公平部分を、多少なりともなんとかしようと考えるなら、ちょっと男が頑張らないとアカンということになるんですよ。
このあたりは宗教観とかを整える必要とかもあるかも知れない問題でして、なかなか難しいんですがね。欧米だとキリスト教が基本的に堕胎を悪と設定してますしな。
このあたりは本当にちゃんと考えて損はないテーマだと、僕は思うのですが。
さて、どうでしょう?
ツイストリングノート:用紙を八折りにして持ち歩く。
写真1を見るということで、久しぶりにツイストリングノートのお話し。
なんか、好きな事について書くのは楽しいですな。
まぁ、それはそれとして。
ツイストリングノートが便利なので、ずっと使ってるわけですが、やってるうちにスケジュールとかも書き込むようになってきて、けっこう頻繁にノートを開くようになってきたんですね。
でも、さすがに手帳じゃないので、機動性は悪いです。電車で移動中とかに、立ったままメモするとかにはあまり向かない。いくら半分折りができるリングノートタイプだとは言え、やはりB5サイズですからな。手帳のようにポケットに収めるってことはできないわけで。
で、ある時、ドタバタしてたので、とりあえずノートに今日のTODOを書き上げたはいいけど、頻繁に見直したり書き加えたりができないなと思って、リフィルを外して八折りにして、胸ポケットに入れて持ち歩いたんですよ。その日だけ。
そしたら、これがけっこう快適で。なんせ、B5サイズの用紙を八折りにしたら、ほとんど名刺サイズなんですね。ちょっとしたシャツの胸ポケットにもラクラクおさまるサイズになるんですよ。
ここまでくると、下手に手帳に書き込むより、よっぽどラク。
特に、夏場は上着とか着ませんからな。胸ポケット程度のところにおさまるのが、実にお気楽で良いのです。
しかも、折りたたんだメモを広げてやれば、またツイストリングノートに戻してやることができるんですね。
これがいい!
TODOを毎日書く習慣があるなら、それをチェックしたかどうかとかが、そのまま「日記」として残せるわけです。日々の覚えに使える。
ということで、よくよく見直して見ると、8つ折りで片面に1週間がまるまるおさまるではないか!と気付いて、B5片面に1週間、両面で2週間という割り振りにして、スケジューラー兼TODO用紙として、この「胸ポケメモ」を、この夏中使い続けておりました。
これがね。
なかなかに便利でして。
いまのところ、かなりお気に入りなんですよ。
一日のちょっとした覚えを記録するのにも良いし、街を歩いてる時にケータイが鳴って、ちょろっとメモするにも重宝するんですね。
仕事帰りに買い物がある時とか、レコーディングダイエットをするとか、家計簿の覚えに今日の買い物額をメモするとか、いろいろ使える。
思いつきで始めたことなんですが、実に便利で、かなりおすすめなので、紹介することにしました。
単純に8つ折りにするだけでもかなり便利だと思うのですが、「一枚の用紙に切れ目を入れるだけで冊子にできる」という折り方・切り方というのがありまして、それをちょっと応用してやると、いちいち広げてたたみ直しするという作業をせずに一週間ずっと使えて、前日分の参照とかも、グンとラクになるので、切れ目だけは入れてるんですよ。簡単だし。(切れ目を入れるのは2週間に1度で済みますしね。一カ所チョキンと切るだけだし。切れ目の入れ方は、添付の画像を参照してください。)
どうせ2週間に一度しか作らないので、作業の手間もわずかで済むし、そうとうズボラな人でも続けられる方法だなぁと思います。いや、自分がズボラなもので、こういうことは手間が少なけりゃ、少ないほど良いってのを、すごく重視してるんですけど。
ということで、良かったら参考にしてください。
ツイストリングノートだけじゃなくて、B5・26穴ノートでも使えると思いますし、世間一般でよく使われてるA4・コピー用紙とかでも、やってやれない事はないと思います。
僕はTODO・スケジュール用に使ってますけど、日付を入れずに、アイディア出しとか、単なる普段使いのメモとして使っても良いかもしれません。
僕の印象で行くと、ツイストリングノートがリングノートとバインダーの両方の魅力を併せ持った事にプラスして、この「胸ポケメモ」の機動性の補完で、カバーできる範囲がとてつもなく広がったように思います。ほんとにもう、手帳のたぐいが不要になっちゃったんですよねぇ。
しかも、保管するのもバインダーですから、時間順にならべて整理してもいいし、他のツイストリングノートの書き込みと連動させて整理しても良いわけで、そういう部分でもメリットが大きくて良いのです。
ということで、興味がある方はぜひお試しくださいまし。
報告とかももらえるとうれしいんですが。
よろしくお願いいたしますです。
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■抜き差し簡単なリングノート:ツイストリング・ノート(LIHIT LAB)http://hitoyomi.diarynote.jp/200903181525509768/■ツイストリング・ノート、その後。http://hitoyomi.diarynote.jp/200907130854311462/■ツイストリング・ノートやシステム手帳のインデックスには、マスキングテープが便利。http://hitoyomi.diarynote.jp/200907151040088991/■ツイストリングノートはドキュメントスキャナと相性が良い。http://hitoyomi.diarynote.jp/200909131056294519/■ツイストリングノートを半分折りにしたB5の横幅は、手帳の見開きサイズとあまり変わらない。http://hitoyomi.diarynote.jp/200907290827471613/----------------------------
■モレスキン・リングノート・普通のノートなど、綴じノートには、最初にページ番号を打つと良い。http://hitoyomi.diarynote.jp/200907171059448704/■ノートは再読することが大事。(書評:脳を「見える化」する思考ノート)http://hitoyomi.diarynote.jp/200811041235101488/■予備校に行くのではなく、授業をちゃんとノートすることが人生では大切だ。
(書評:東大合格生のノートはかならず美しい)http://hitoyomi.diarynote.jp/200810281406446294/

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